キリンノックスの日記


キリンノックスのブログ

祖母を自宅で看取った。

書こうか迷ったけど、書こうと思います。

 

おれはおばあちゃん子なのですが、先日89歳で亡くなりました。

 

コチラがうちの簡略化した家系図です。

f:id:kirinnox:20200214164305j:plain

 

 

 

入院~退院

祖母は去年2019年の暮れから体調を崩し入院していた。

帯状疱疹というウイルス性のものにかかったからだ。

祖母は2020年の元旦は病院で家族と離れた状態で迎えた。

そして、1月の末に退院して自宅に戻ってきた。

病院にいるときから、父、叔母1、叔母2が足繁く通ってご飯を食べさせたり介護していた。

自宅に帰って来てからも、毎日、ご飯を食べさせてあげた。

しかし、食欲もあまりないようで、だんだん痩せて行く。

 

 

2月6日(木曜)受診

祖母を病院に連れていく。

経過はかんばしくなく、入院するか、帰宅するかを迫られる。

それはつまり、病院で亡くなるか、自宅で亡くなるかという選択を意味していた。

 

 

父と叔母1、叔母2が話し合って、自宅に連れて帰ることに決めた。(ここにもいろいろ葛藤があったようだが、おれにはわからないので書きません)

入院ではなく、自宅で療養する場合、自宅での看取りまで対応してくれる医師が必要でした。

担当となった医師がうちに来て、祖母を診察しました。

 

 

余命宣告

看取りまで対応してくれる医師は、なんと女医さんで、おれはその場にいなかったので、伝聞になるのだけれども、非常にはつらつとした元気の良い人だったらしい。

 

 

「はっきりと言いますと長くとも5日くらいだと思います。今夜亡くなってもおかしくないです。」

 

 

父も叔母も突然の宣告に驚いたらしい。

病院の医師は、余命についてはなんとも言わなかったからだ。

 

 

「会わせたい人がいたら、会わせておいたほうが良いと思います。」

 

 

おれは、その医師と直接会って話してはいないのですが、今回、祖母と悔いのない別れをできたのは、この人のおかげだったと思います。

その日のうちに、親戚中に電話を掛けて、夜までに来れる人が集まった。

皆、ベッドのそばに寄り添って思い思いに声をかけた。

 

 

ばあさんを見ると、本当に今にも呼吸が止まりそうなほど、苦しそうだった。

おれの見た感じでは、本当に明日まで持たないかもしれないと思うほどだった。(結果的にはここから3日間生きていた)

 

 

その日、親戚はいっぱい来たけれども、おれは、兄と妹に会わせたかった。

おれが生まれた家で、ばあちゃんと一緒に生活したのは、父、母、兄、おれ、妹の5人で、おれの家族は6人家族なのだという認識でずっと生きてきたからだ。

 

 

しかしその日は木曜で、次の日は金曜だった。

兄も妹も実家から出て東京で働いている。 

 

 

兄に連絡すると「仕事があって帰れないから土曜には帰る。」ということだった。

おれは、それを聞いて何を悠長なことを言ってるんだ・・・後悔するかもしれないぞと思った。

 

f:id:kirinnox:20200214165754j:plain

 

最後に会えなかったら兄が後悔するかもしれないと思ったし、兄に会わせられなかったと思っておれが後悔するかもしれないとも思った。

 

 

そう思っておれは兄に電話をかけた。

 

 

兄「話はもう聞いた。電話されても困るで・・・土曜に帰るよ。」

おれ「いや、ばあちゃんに兄貴の声だけでも聞かせてやろうと思って。」

 

 

スピーカーにして、ばあさんに兄の声を聞かせた。

 

 

兄「おれだよ。わかる?」

 

 

ばあさんは兄の声を聞いて、あきらかに反応を示していた。

孫の声を聞いて、最後の力を振り絞って話すばあさんを見て、涙が出てきた。

 

 

おれは「ばあちゃんと話してくれてありがとう。」と兄に言った。

 

 

兄は「おれの方こそありがとう。おれ帰るわ。」と言った。

 

 

ばあさんの声を聞いて、兄は仕事を休みにして帰ることにしたらしい。

妹も特急に乗って帰ってくる。

 

 

兄と妹は午前3時頃にうちについた。

余命を宣告された日の深夜(つまり翌日の)午前3時に、家族6人で対面することができた。

 

 

最後の3日間

それからの3日間、だんだん弱っていくばあさんを身近で見た。

金曜の午前3時、兄と妹が到着し、家族6人で対面したが、流石に眠さもあったので、おれ、妹、兄は寝て、父、叔母1、叔母2、母が交代で介護した。

ばあさんは昼も夜もなく、常に寝てるような起きてるような状態で突然苦しんだり、呼吸が荒くなったりしていたので、みんなで飲み物を飲ませたり、寝返りをうたせてあげたり、背中を擦ってあげたりした。

 

 

おれは実家近く(1分以内)のアパートに住んでいるので、アパートに帰って寝た。

「何かあったら電話するから」と叔母に言われていた。

おれは電話が鳴るような気がして、寝付けなかった。

 

 

金曜朝、ばあさんの様子を見に行くと、まだ生きていた。

父、叔母1、叔母2はばあさんの部屋に布団をひいて寝ていた。

 

 

おれ「ばあさん。おれ仕事行ってくるよ」

そう言って、仕事に行った。

 

 

仕事から帰ってくると、そのままばあさんの部屋に直行して、ただいまと言った。

 

 

木曜の夜来た親戚の人たちが金曜日もまた会いに来たりしてくれた。

その夜もまた、おれは電話が来るのではないかと気がかりだったが、半分諦めて寝た。

 

 

今亡くなるなら仕方がない。

できることが何もなかった。

人が死ぬのを止めることはできないのだと、痛烈に感じた。

しかし、その日も電話は来なかった。

 

 

 

 

土曜日の朝、会いに行くとまだ生きていたが弱っていた。

死期が迫っていたが、父、叔母1、叔母2が気丈に振る舞っていたため、あんまりしんみりした空気ではなかった。

ギャグを言ったり「お迎え来たか?」とかブラックジョークを言ったり、みんなで写真を撮ったりした。

平日に来れなかった親戚も土曜に会いに来た。

 

 

その日もばあさんは乗り切った。

おれは、この日も電話が来るか来ないか、気になってはいたが、寝ることができた。

 

 

ばあさんに会わせたい人は全員会いに来た。

もう今夜亡くなっても仕方がない、後悔がないと思った。

その日も電話は来なかった。

 

 

 

最後の日

窓を空けて日光を当ててやる。

2月。外は非常に寒いが、日差しを受けると少し暖かく感じる。

部屋は暖房をフルパワーでつけていたので、寒くなかった。

 

 

手を握ってやる。

 

 

ばあさんの手は、親指以外の指が紫色になり、手をにぎると指先は冷たくなっていた。

たまに目をかすかに開ける。

 

 

おれ「おれだよ!◯◯だよ!」

ばあさんは「おう・・・わかるよ・・・」っと言った。

涙が出てきた。

 

 

だんだん弱ってはいたが、看る方も休まなければ身が持たない。

夜は徒歩1分のアパートに帰って寝た。

 

 

亡くなる人は、夜亡くなることが多いらしい。

ばあさんの状況では、夜も昼もないような状態に見えたが、人間は不思議なもんだ。

 

 

午前1時に電話が鳴る。妹から。

「ちょっと来たほうが良いかもしれない。」

 

 

靴を履いてダッシュで向かう。

父、母、兄夫婦、兄の息子(1歳)、妹、叔母1、叔母2が集まっていた。

ばあさんの呼吸は浅く、荒くなっている。

目はかすかに開いている。

みんな代わる代わる、ばあさんの目の前にいって声をかけた。

 

 

おれは「ありがとう」なんて言葉は言わなかった。

ただ「ばあちゃん。米をといどけ」と言った。

これがおれとばあちゃんの別れの言葉になった。(ちょっとこの言葉については説明が難しいので割愛します)

 

 

叔母2が言った「またコスモス見に行こうね」という言葉を聞いてまた泣けてしまった。

 

 

一通り声を掛けたらばあさんの息は安定し、寝始めた。

おれたちも寝ようということになり、父、母、叔母1、叔母2を残しておれたちは寝た。

 

 

そして、午前3時に再び電話が鳴った。今度は父から。

「おばあさんね、さっき息止まった。」

急いで駆けつけると、まだあたたかいばあさんがいた。

 

 

通夜~火葬~葬式

葬儀はつつがなく執り行われました。

以前こんなことを書いたのですが

 

構造が失われるその時こそ、私達は生命の終わりを心で感じ、そして、目の前で起こる生命の終わりは、生きている私達に衝撃を与える。

生きている状態と、死んでいる状態の違いは何か。私的考察。【ひよこミキサー】 - キリンノックスのブログ

 

やはり、火葬の前までは、まだ、ばあちゃんはそこにいるような気がした。

息はしていないが、そこにいる。

しかし、火葬によって本当に別れなのだと、本能が感じた。

 

 

火葬場の炉の扉がコチラとアチラを隔てる厚い壁に見えた。

その扉が閉じたとき、叔母1、叔母2も涙を流していたので背中をさすってやったら、なんだかおれにも悲しみが伝わってきて、おれも泣いた。

それ以降は淡々と進んだが、葬式の最後、スライドショーが流れて、流石に涙が止まらなかった。

 

 

 

以下余談。

 

 

 

実利的な感情

ばあさんが亡くなるまで、介護して、みんなで暖かく看取ったわけだが、おれの脳みその中にはドライな側面もあったことを書いておきたい。

 

 

土曜に亡くなったら、日曜に通夜で、月曜に葬式かな?

月曜の仕事を休まなければいけないか?

 

誰に連絡すれば良いんだろう。

 

日曜に亡くなったら、月曜に通夜で火曜に葬式かな?

 

 

などと日程を脳内で考えていた。

 

 

不謹慎だが、火曜が祝日だから、火曜に葬式だと調子がいいなぁ。とか思っていた。

 

 

仕方がないのかもしれない。

生きている人は働いて、お金を稼がなければ生きていけない。

ばあさんの人生は終わるが、おれの人生は続く。

おれの脳みその中には、祖母とのお別れや思い出というエモーショナルな感情と、通夜、葬式の日程や仕事は何日休めるのかと計算するドライな感情が共存していた。

 

 

 

死について

大学の死生学の講義で死には3種類あると習った。

  • 一人称(I)の死
  • 二人称(YOU)の死
  • 三人称(HE、SHE)の死

しかし、今のおれの考えで言えば、死は2種類しかないように思う。

自分の死か、自分以外の死だ。

おばあさんにとってのおばあさんの死は一大事だ。

自分の意識が消えてしまう。

 

 

しかし、おれにとってはおばあさんの死だけでなく、おれ以外の人の死はどこまでもひとごとであるのだ。

自分以外の誰が死んでも、おれの人生は続いていく。

だから、おばあさんの死が差し迫っても、実利的な思考が出てきてしまうし、死を客観視することしかできない。

今回の出来事は、自分の死と自分以外の死は決定的に違うのだと思い知らされる出来事だった。

 

 

 

死因=老衰

死亡診断書に書かれた死因は老衰だった。

天寿を全うしたということで良かったと思った。

 

 

 

線香を立てる気持ち

おれは生まれてから一緒に生活していた家族が亡くなったのは初めてだったのだけれど、線香を立てる気持ちがわかったような気がした。

故人に対してできる事は何もない。

なにかしてやりたくても、線香に火をつけるくらいしかできない。

母方の祖母がこんなことを言っていた。

「骨壷をさすってもしょうがないから、生きてるうちに背中さすってあげろ」

 

 

 

葬式の写真

葬式中、写真を撮った。(葬儀中の撮影マナーについてはよく知りません)

棺桶の写真まで撮った。

撮ったはいいけれども、撮るべきだったのかはわからない。

おれの高校のときの担任の言葉を思い出す。

「人は親の死を忘れられるように、忘れる能力が備わっているんだよ。」

記録媒体が発達した時代で、人は忘れることが難しくなっている気がしないでもない。

 

 

 

長生きの効用

長生きしてくれるのは、周りの人にとってありがたいことなのかな。と思った。

おれの祖父はおれが小学生の時に急死した。

そのときの、周りの悲しみと、今回の葬儀を比べて、長生きをして、最後のお別れをしてから亡くなると、周りの悲しみも幾分やわらぐような気がした。

 

 

おわり

 

f:id:kirinnox:20200214173952j:plain

 

 

顔と性格の相関関係の仮説

 

佐藤隆太さんを見て思ったのですが。

もちろんカッコ良いんですが。

良い人そうだなぁ!っと私は思ったのです。

 

そこでwikipediaを読んでみると

誰とでもすぐに仲良くなれる明るい性格

佐藤隆太 - Wikipedia

 

期待を裏切らない!

むしろこの顔で性格悪かったら、おれは人間不信になってしまうよ・・・

そして、私はある仮説を立てました。

 

 

 

良い人そうな顔してる人は良い人説

f:id:kirinnox:20200118104632j:plain

 

この仮説の根拠をここに記します。

 

 

人は、見た目によって流されがちです。

これはハロー効果によって裏付けられると考えます。

 

 

ハロー効果 - Wikipedia

 

 

よって、良い人そうな見た目の人を人々は「良い人」として認識してしまいます。(実際の相関関係は不明なのに)

つまり、良い人そうな人は周りから良い人として扱われるわけです。

 

 

ハロー効果に関して、美人かどうかが罪を犯したときの刑罰の重さに関係してくるという実験結果もあるようです。

たとえば、美人が窃盗罪を犯したときには「きっとなにか理由があるのだろう」と刑が軽くなる傾向があるのに対し、同じ美人が詐欺罪を犯したときには「美醜で魅了して人を騙すとはけしからん」と刑が重くなります。

引用:自分では気づかない、ココロの盲点 完全版 本当の自分を知る練習問題80 (ブルーバックス)

 熟慮されるべき量刑の判断ですら、美醜による影響が出てしまうということを考慮すると、普段の何気ない人間関係において、美醜が影響してくるのは当然であると考えます。

 

 

 

そこで、気になってくるのがスタンフォード監獄実験です。

 

スタンフォード監獄実験 - Wikipedia

 

「新聞広告などで集めた人を、適当に看守役と囚人役に割り振り、それぞれの役割を演じさせた」という実験です。

そして、結果として、看守役は看守らしく、囚人役は囚人らしくなった。

それはもともとの性格とは関係なく、権力を与えられた人は、傍若無人な振る舞いをするという結果が出たそうです。

女性用の衣服を着せられていた囚人役の人の性格が多少女性らしくなったという結果も出ているらしい。

 

 

ここから言えるのは「人は貼られたレッテルの方に自分を合わせていく性質がある」ということなのではないかと思う。

 

 

つまり、周りから良い人として扱われるという経験が重なると、自然と良い人寄りに性格が変化していくのではないか?というのが私の考えです。

 

 

これは、逆のことを言うこともできる。

つまり、人相の悪い人は、周りから悪い人として扱われ、結果悪い人になってしまうのではないかという考えだ。

これがもし事実であれば、非常に恐ろしく、残念なことだ。

 

 

ここまで書いてもう一つ効果を思い出した。

ピグマリオン効果とゴーレム効果だ。

 

ピグマリオン効果 - Wikipedia

 

これは、教師が「この生徒は勉強ができる」と思って接すると、実際に成績が向上し、逆に「この生徒は勉強ができない」と思って接すると成績が落ちるという内容の効果だ。

 

 

「成績」という実際に数値として現れる結果が事実であるとすれば、周りからの期待度によって性格という数値化できないような曖昧なパラメータが容易に変化してしまうのは想像に難くないと思うのだがどうだろう。

 

 

私は以前から「顔は運だ」と書いてきた。 

www.kirinnox.com

 

 

もしも、顔によって、周りからの扱いが変わり、それによって、性格に変化がもたらされるとすれば因果関係的に「性格も運」と言うこともできるかもしれない。

 

 

また「人生は全ては運なのではないか」という私の考えが強固になっていく今日であった。

 

 

関連記事

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

 

【多芸は無芸】僕のコンプレックスを話そう【オール5の落ちこぼれ】

f:id:kirinnox:20191226171833j:plain

今日はおれのコンプレックスを話そう。

ところどころ自慢と取られてしまって、お気を悪くする方がいるかもしれない。

 

 

怠惰

僕は怠惰です。

かなり。怠惰です。

どのくらい怠惰かと言いますと、今日は昼に起きて、スマホを持って、気付いたら4時でした。

ベッドからコタツに移動しました。

約10mの移動です。

昼間はお母ちゃんの作ったチャーハンを食べて、コタツでみかんを食べながらお茶を飲みながら、スマホで漫画を読んでいました。

怠惰を脱したい。

もちろん、おれの怠惰はおれのせいだ。

しかし、おれの怠惰は、おれのせいなのだろうか?

 

 

多芸

僕は多芸です。

かなり。多芸です。

どのくらい多芸かと言いますと、楽器はギター、ベース、ドラム、打楽器、ピアノ、ヴァイオリンまで手を出した。

ヴァイオリン以外は、人並み以上に弾くことができます。

パソコンもそれなりに使えるし、タイピングも結構速い、ダーツも練習した、歌もそれなりに歌える。

運動は少々苦手ですが、それなりで、中学の時やっていた運動部では、上位入賞していました。

ボードゲームも好きで将棋、オセロ、チェスなどであれば、かじった程度の人には負けない自信があります。

重要な勝負事は勝ったことの方が多いです。

 

しかし、どれも、まぁまぁ上手い程度です。

 

 

勉強

僕は勉強が得意でした。

今も得意です。

しかし、勉強に関しても二流なのです。

なぜかと言えば、頑張って勉強したことがなかったからです。

勉強しなくてもできてしまったから。

全ての教科で、それほど勉強しなくてもできた。

故におれは勉強をしなかった。

定期テスト前も、受験前も、苦労した記憶が全くありません。

成績は体育以外オール5でした。(体育は4だった。)

コレで良いのだと思っていた。

しかし、おれがやっていた勉強は、本物の勉強ではなかった。

テスト範囲内の知識しかないし、テスト範囲内の好奇心しかなかった。

 

 

成績

とにかくすべて並以上にできた。

でも、全部それなりだった。

学校の成績を見て、親や先生はおれの事を褒めた。

「なんの問題もないですね」っと言われた。

おれも、学校の成績を見て、なんの問題もないと思った。

 

問題しかなかった。

 

それを28歳になったおれは感じて生きてきた。

学校の通信表の成績なんて、あてにはならない。

MAXで5までしかないのだ。

たとえ、ゴッホ並の絵を書こうが、美術の成績は5止まりだ。

全部1でも一つだけ突出していれば生きていける。

逆にオール5でも突出していなければ、無価値なのだと思うよ。

これからネットなどで、才能のある人達が活躍できる場が増えて、更にそういう時代になって行くと感じている。

 

 

 

全てが中途半端な多芸は無芸人間

多芸は無芸。

最初にこの言葉を想起したのは20歳前後だったかもしれない。

おれはバンドをやっていたけども、ギターからベースに転向して、ベースからドラムに転向した。

自分の事をなんでも屋的な、良く言えばオールマイティなプレイヤーだと思った。

しかし、おれは気づいてしまった。

人間は同時に2つの楽器を弾くことはできない。

ドラムでライブをしているときは、いくらベースがうまくても意味がない。

ドラムなんか叩けなくても、ベースがめちゃくちゃ上手い人間の方が使える。

 

例えば、野球もサッカーもそれなりに上手い人は、実際あんまり役立たないだろう。

サッカーができなくても、野球がめちゃくちゃ上手ければ生きていける。

 

 

多芸は無芸で調べてみるとこんな文章が出てきた。

 

「生まれつき器用で、芸という芸、何にでも手を出し、一応何でもうまくやりこなす、という人がある。しかし、やる事が多いために、力が分散されるので、すべてが中途半端になってしまい、特に傑出した芸を持たないものである」という意味の諺です。

http://www.ishii-miraikan.com/kanjikyouiku/contents/15_52_02_15.pdf

 

僕の人生そのものが書かれているようで驚きました。

 

 

この頃“落ちこぼれ”という言葉がよく使われます。何か一つつまずいても、それを“落ちこぼれた”と言うのです。それは断じて“落ちこぼれ”ではありません。落ちこぼれとは、何一つ取り柄のない人間の事です。一芸に秀でていたら、人間として申し分ない、と私は思います。何でも出来る人間こそ「多芸は無芸」で、落ちこぼれと言うべきです。

http://www.ishii-miraikan.com/kanjikyouiku/contents/15_52_02_15.pdf

 

良い言葉ですね。

何か一つつまずいても、断じて落ちこぼれではないんだよ。

本物の落ちこぼれは、何一つ取り柄のない人間の事です。

何でもできるオール5の成績表こそが、本物の落ちこぼれの成績表だったんです。

 

 

十徳ナイフ

おれは十徳ナイフを思った。

いろんな事ができる。

便利だけど、ナイフとしても微妙だし、ペンチとしても微妙、ニッパーとしても微妙だし、アイスピックとしても微妙。

知ってる。

おれ自身、こんなような物体は全然好きじゃない。

一つに特化した方が優れているに決まっている。

 

エフェクターだって、マルチエフェクターより、歪みしかできないけど、めっちゃ歪むエフェクターの方が良いに決まっている。

 

正直、何かを作業するとき、物を切ることに特化したナイフと十徳ナイフがあれば、十徳ナイフではなくシンプルなナイフを選ぶ。

十徳ナイフは「まぁあるから使うか。」程度の物体なんだ。

 

 

これしかないから仕方なく使う。

おれは十徳ナイフみたいな人間だ。

切れ味は悪いが、いるから使う。程度の人間。

思えば、自分で主体的に何かをするよりも、誰かに頼まれて何かをこなす事が多かったように思う。

便利だから。

でも、いざというときには役に立たない。

 

 

あれか、これか

人生はあれか、これか。

おれは性格的に、全てを得ようとしたくなってしまう。

 

 

どちらかを選ぶというのは、どちらかを諦めるということです。 諦めるのが難しいから、迷っている訳です。 しかし、人生は一本道です。人は、1人分の人生しか歩めません。 同時に2箇所に存在することはできない。 迷った時、必要なのは諦めることです。

自分の心の声に従う勇気 - キリンノックスの日記

 

全てを得たくなってしまうけども、全てを得ることはできない。

だから、取捨選択しなければならないのに、おれは諦めるのが下手くそだから決断してこなかった。

全部それなりに手を出して、それなりにうまくなってしまったので、「どれを選ぶか」という選択を迫られなかった。

 

 

結果、おれは十徳ナイフになった。

 

もう十徳ナイフとして、鋭くなるしかないのか。

 

明日おれは29歳になります。

 

ほしい十徳ナイフリスト(Amazon)

 

介護はキツイ。死はいつか訪れる。延命の意味とはなんだろう。

f:id:kirinnox:20191211215615j:plain

 

ネガティブなこと書くよ気をつけて

 

 

ネガティブだよ。

 

 

一節によると、ネガティブな文章読むと、脳にダメージ入るらしいですよ。

 

 

だから、読まなくても良いですよ。

そういう人は、ブラウザバックで、良いお年を。 ノシ

 

 

ノシとか久しぶりに打鍵したわwww

 

 

本題です。

 

 

介護するとネガティブになる。

 

 

多分だが、介護すると、老いる。

逆に子育てをすると若返るように感じている。

 

 

おれはどちらも本格的にしたことは無い。

しかし、今日、どちらも体験した。

親戚の子供が来て、一緒に遊んで、夜は祖母をトイレに連れていって、飯を食わせた。

 

 

話は脱線するけど、今の2歳児はYoutube見てんのねww

スワイプめっちゃ使いこなしてる。

LINEの通知一瞬でスワイプして消せるww

時代の移り変わりだわ。

 

 

祖母の方は、もうあまり長くない。

やせ細った足と、アンモニア臭。

もう、長くない。

 

 

ご飯を食べよう、と言っても「食べたくない」と言われる。

 

 

食べたくない。と言っている祖母を無理やり起こして、食べさせるのは、もはや延命措置に近いのではないかと思っている。

そうまでして、生きさせる意味はあるのだろうか。

本人も「生きていて困る」と言っている。

 

 

延命しても、先は見えている。

死が少し遠ざかるだけであり、その死までの余生も、あまり嬉しいものでは無いかもしれない。

本人も、周りも、辛い介護の中で生きる。

 

 

しかし、目の前の祖母を見ると、やはり、無条件に「生きて欲しい」という感情が湧いてきてしまい、食欲のない祖母に食べさせたくなってしまうのだ。

孫のおれでもそうなのだから、息子と娘(おれの親父とおばさん)はなお、祖母に生きて欲しいと願っていることだろう。

介護の姿勢をみていてもそれは感じられる。

 

 

延命措置、それ自体はしたくないし、自分にもして欲しくない。

おれもそう考えているし、そういう風に考えている人の気持ちは非常によく分かる。

しかし、死にそうな自分の血縁関係が目の前にいたとき、私たちの本能は、生きて欲しいと訴えかけてくるよ。

おれの親が死にそうになったとき、「 延命措置を施しますか?」と言われた時、「もう良いです。楽にしてやってください。」と言えるだろうか。

 

 

そして、延命措置が必要な状況に自分がなったとき。

「もういいよ、楽にしてください」と言えるだろうか。

それとも、管を繋いででも生かしてくれ。1秒でも延命してくれ!となるだろうか。

正直に言うとわからない。

今の気持ちで言えば、いさぎよくこの世を去りたいという気持ちだが、いざその時がきたとき、どう思うかはわからない。

 

 

おれは、毎日毎日、死について考えながら生きています。

毎日毎日。死を考えて生きるのは疲れる。

毎日毎日。死を考えて生きるのは間違っているのかもしれない。

毎日毎日。死を見据えるのはほどほどにしなければならない。

 

 

メメント・モリのやり過ぎは、健康に悪い。

www.kirinnox.com

 

 

 

それでも、おれは考えずにはいられない。

祖母の死に、耐えられるだろうか。

父の死に、耐えられるだろうか。

妻の死に、耐えられるだろうか。

www.kirinnox.com

 

 

 

きっと辛い。

人生は死へと向かっている。

じゃぁなんで生きているのか。

 

 

わからないけども、終わりは必ずくる。

そこまでの過程にこそ幸せはある。

いや、人生の過程の中にしか、幸せは存在しない。

 

 

 

おれが嫁と交わした2つの約束

f:id:kirinnox:20191211215420j:plain

 

サブブログに書いたけど、コチラにあげます)

 

昨日書こうと思ったのだけれど、予定を変更してくだらない事を書いてしまいました。

 

今日は少し真面目に書きたいと。

 

おれの嫁は、まぁ最高の嫁です。

 

そんな嫁とおれは、2つの約束を交わしました。

 

1つは、7年前。付き合いはじめたときに交わした約束。

 

「大事な話はLINEやメールでしない。」

 

これは、当時21歳のおれの人生経験から導かれた戒めでした。

 

例えば、別れるだの、別れないだの。

将来の話だの、お金の話だの、込み入った、深い、人生の根幹に関わるような話し合いを文章でするとかなりの確率で、悪い方向にいきます。

 

 

21歳のおれはそれを身にしみていました。

 

だから、最初にこう言った。

 

「大事な事は直接話そう。絶対LINEやメールで話してはいけない。」

 

詳細は書きませんが、この一言がなかったら、おそらくおれの嫁は今隣にはいないと思います。

 

 

 

もうひとつは

 

「おれの方が1秒でも長く生きること。」

 

 

 

正直、おれは死にそうですw

 

社会不適合

 

弱くて繊細な精神

 

そして、自殺への興味

 

 

 

自分でも、自分の魂や、体や脳みそが、長生きに適していない事は感じています。

美学的にも、細く長く生きるよりも、太く短く生きたほうがカッコいいと思っちゃうタイプです。

 

 

しかし、嫁を悲しませる事はできない。

嫁には感謝しかない。

 

 

私は結婚した事をこれっぽっちも後悔したことがありません。 というか、私の人生で一番良かった事と言えば結婚した事で。 私の人生の一番の成功は、良い嫁を持ったことで。 私の人生の一番楽しかった出来事は、嫁と過ごしている、今の日々です。

【個人的見解】結婚のメリット・デメリット【結婚最高】 - キリンノックスの日記

 

 

正直、この約束守れるのか?と思うこともある。

体調が悪いとき、精神が悪いとき、きっとこの約束は守れないだろうと弱気になることもあるし「約束を守れないかもしれない」と口に出して言ったこともある。

 

 

しかし、貧乏でも、苦しくても、かっこ悪くても、雑草を食ってでも生きなければいけない。

嫁を悲しませる訳にはいかない。

 

生きることをもって恩返しとしたい。

 

 

ルール内だったら何をやっても良い?見つからなければ何をやっても良い?ルールに対する4つの態度。

f:id:kirinnox:20191024165947j:plain

 

 

今日は「ルール」について思いを馳せていました。

ルール

ルール(rule)とは規則、規制、慣例、しきたりなどを意味する英語

ルール - Wikipedia

 今回は「ルール」を法律も含めて広く解釈して考えていきたいと思います。(正確には法律はlawですが。)

 

 

ルールに対する4つの態度

f:id:kirinnox:20191024170104j:plain

私のこれまで生きてきた経験から言えば、ルールに対する姿勢は4つあるように思われます。

 

  1. ルールだけではなく、マナーも守る。スポーツマン紳士タイプ。
  2. ルール内なら何をやっても良い。手段を選ばないタイプ。
  3. 見つからなければ何をやっても良い。ルールも破る。ずる賢いタイプ。
  4. 違法も法。捕まってもトータルで利益が出れば良い。何でもやるタイプ。

 

下の方が路上での攻撃力が高い。(法廷では攻撃力はない。)

ちなみに私は2番の態度を取ることが多いです。

 

 

ルールとマナーの違い

f:id:kirinnox:20191024170306j:plain

  1. ルールだけではなく、マナーも守る。スポーツマン紳士タイプ。
  2. ルール内なら何をやっても良い。手段を選ばないタイプ。

 

 

①と②を分けるのは、マナーを守るかどうかです。

マナー(英語: manners)とは、行儀・作法のことを指す。

マナー - Wikipedia

 

ルールとマナーの違いは、ペナルティがあるかないかだと考えています。

ルールとペナルティはセットです。

罪と罰

バツがなければルールは機能しません。

しかし、マナーにはペナルティはありません。

破っても嫌われる程度です。

 

 

①の態度は人間として素晴らしいですね。

しかし、①は攻撃力が弱いです。

やっぱり、ルールのギリギリみたいな行為は、強いです。

スポーツやゲームの話で言えば「強い」し、生活の上で言えば「自分だけの利益を得る」可能性が高いです。

 

 

「強く」て「やった人だけが利益を得て」、「周りは不利益を被る行為」ルールとして禁止されていたりするわけです。

弱い行為が禁止対象になることは少ない。

 

 

①の態度でいるためには、負けても気にしない人であるか、ルールギリギリの強い行為さえもはねつけて勝つ強靭な強さが必要です。

私は、昔(小中学生くらい)は①でしたが、負けるのは嫌だし、強さも持ち合わせていないので、②の態度を取る事が多くなりました。

 

 

 

見つからなければ(捕まらなければ)ルールを破っても良いのか

f:id:kirinnox:20191024165358j:plain

  1. ルール内なら何をやっても良い。手段を選ばないタイプ。
  2. 見つからなければ何をやっても良い。ルールも破る。ずる賢いタイプ。

 

前述のように、ルールとペナルティはセットです。

理想論を言えば、ルールの適応状態としてはルールを破れば即ペナルティの世界が理想的です。

スピード違反をしたら即罰金。

一時停止違反罰金。罰金はクレジットカードで自動引き落とし。

法律を破ったら即逮捕。

 

 

しかし、そんな状態はまず不可能です。

時代の変化(警察の捜査の向上、防犯カメラの設置台数増加、技術の向上)などによって、犯罪が見つからない(ルール違反がバレない)という事は減ってきてはいる。

将来的には犯罪をすればすぐ発見されるような世界になっている可能性はあります。

しかし、現状はまだ、罪をおかしても必ずペナルティに結びつくとも限りません。

また、どこまでが罪で、どこまでが罪じゃないのかも曖昧です。

白黒はっきりつかないのが現実なので、裁判をして決めるわけです。

 

 

私の観測範囲では、③の態度の人が一番多いのではないかと思います。

なぜかと言えば、ペナルティを食らう確率が低い事象では、みんなルールを破っているからです。

例えば、車を運転する人は、もはや、制限速度を完璧に守っている人の方が稀です。

他にも「ゴミの出し方」でしっかり分別して、所定の曜日に出さないと、廃棄物処理法違反になることもあるそうですが、捕まったという話は聞いたことがありません。

意識するしないに関わらず「捕まらないなら守らなくて良いや。」っと思って破っているという事になりますね。

運転していて、一時停止しないと捕まる場所だけ一時停止して、他のところは停止しない。という人は③に当てはまります。

審判が見ていないからズルをする。先生が見ていないところでカンニング。なども③。

 

 

 

ルールを破ってペナルティを受けても、利益が上回る事もある。

f:id:kirinnox:20191024165736j:plain

  1. 見つからなければ何をやっても良い。ルールも破る。ずる賢いタイプ。
  2. 違法も法。捕まってもトータルで利益が出れば良い。何でもやるタイプ。

 

 

世の中には、残念ながら、例え捕まって罰則を受けようと、利益を得るケースがあります。

詐欺で儲けて、多少懲役刑を食らっても、トータルで見れば儲かる。みたいな話も聞いたことがあります。

他にも、捕まる覚悟で転売をやっている。(捕まっても得する)とか。駐車違反で捕まっても、罰金=駐車料だと思えば安い。っと思っているタイプです。

または、もう、捕まるのは怖くないので凶悪犯罪でもなんでもしてしまう、いわゆる「無敵の人」と言われている人や、刑務所に入って飯を食べるために犯罪を犯してしまう人。(捕まって罰則を受ける事がデメリットにならない状態)

 

 

ルールをしっかり守っている①や②の人から見れば捕まっても利益を得ている人を見るのは悔しい気持ちもありますが、実際、ルールを破るメリットがペナルティを上回っている事象では、この人達を止める事はできません。

なぜなら、「ルール」という抑止力が機能していないのだから。

そして、それが現実です。

詐欺で儲けて、多少懲役刑を食らっても、トータルで見れば儲かることがあるのが事実であり、さらに良心の呵責も感じないような人間であれば、その人を抑止するものは何もないのです。

 

 

 

まとめ

f:id:kirinnox:20191024170834j:plain

 

私は、ここで、「この態度は倫理的(道徳的)に悪いよね」などと言うつもりはありません。

この記事は、ただ「4つの態度」があるという事実をまとめて書いてみただけです。

 

 

なぜかと言えば、私は「道徳的に、良いも悪いもない。」と考えているからです。

この世はそもそも「ある行為」とそれに対する「結果」のみが存在するだけであり、倫理的に良い悪いというのはない。

(一般的に言われている)悪い行いに対し、嫌悪感を抱くとすれば、それはただの好みの問題であると考えています。

 

 

こう考える事によって、道徳に対する全ての疑問は論理的に解決します。

 

 

例えば「なぜ人を騙してはいけないのか。」に対する返答は

「人を騙してはいけないという科学的事実はない。詐欺をして捕まれば、実刑を受ける。しかし、捕まらなければ、刑は受けないが、良心の呵責に耐えられないかもしれない。または、良心の欠片もない人間が捕まらなければ、詐欺を働いても何事もなく一生を生きることもあり得る。」

 

 

全ては起こりうる可能性があり、事実である。

私はこの考え方が一番しっくりくるし、事実だと思っている。

 

 

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

 

言葉よりも、行動を信じろ

f:id:kirinnox:20191016131504j:plain

 

私は、妻にずっと前から言っている言葉があります。

 

 

「おれの言葉よりも行動を信じてほしい。」

 


言葉など、なんとでも言えるのだ。

嘘だって言える。

 

 

男は愛してないのに、女を物にするために「愛している」と言うし

悪いと思っていないお偉いさんも「誠に申し訳ありませんでした」と言う。

浮気してる人「あなたしかいない」と言うし

金がないやつは必ず「明日返すから」と言う。

ネットで実績を訴えたい人は「この投資で儲かりました」と書くし

商品を売りたい人「この商品は最高です」と言う。

 

 

言葉なんて、なんとでも言える。

 

 

おれはこの世界が大好きだし、生きるの超楽しい、仕事も天職だ。

この世が地獄なんて言ってる人がいるなんて信じられないね。

きっと愛は世界を救うだろうし、なんならおれの愛で世界を救ってみせる。

おれは悪いことはしたことがないし、嘘もついたこともない。

おかげで年収2000万だ。

正直に生きることが、収入アップの近道だよ。

あと、おれは小学校の頃からバク転ができた。

 

 

ほらね。

いくらでも書ける。

おれの打鍵を妨げるものは何もない。

 

 

たまに、嘘を言うつもりがなくても思ってもないことを言ってしまったりする。

好きなのに「お前なんか嫌いだ」と言ってしまう事もある。

言葉は事実とは限らない。

 

 

 

行動は事実である。

f:id:kirinnox:20191016131734j:plain

「おれバク転できるぜ」と言うのは誰でもできるが、バク転する事は誰でもできるわけではない。

「愛している」なんて誰でも言えるが、その人のために、仕事をして、金を稼ぎ、家事をして、ごはんを作ることは誰でもできる事ではない。

「この商品は最高です」なんて誰でも言えるが、最高の商品を開発して、誰かの問題を解決する事は誰でもできることじゃない。

 

 

行動は事実だ。

行動した時点で、それは疑いようがない。

 

 

 

謝罪する人には気をつけろ。

f:id:kirinnox:20191016132019p:plain

 

 

コレも私が妻に良く言っていることだ

 

 

「ごめんねという言葉には気をつけたほうが良い。」

 

 

「ごめんね」なんて、誰でも言える。

私の経験上「ごめんね」と軽々しく言ったヤツは、また同じ事をする。

そして、また「ごめんね」と私に謝る。

 

 

「ごめんね」と言うのはタダだから。

 

 

おれは謝って済むならいくらでも謝る。

土下座でもなんでもする。

 

 

もし、「土下座すれば1円やるよw」と言う人がいたら、おれは1千万回土下座して、1千万円貰う。

なぜなら、土下座とは、謝罪の言葉とともにタダ頭を下げるだけだから。

 

 

誠意が感じられない?

誠意とは何か?

 

 

謝罪における誠意を演技力で騙されている人がいる。

つまり、申し訳なさそうにするのがうまい人が誠意があると勘違いしている人がいる。

 

 

違う「誠意とは行動」だ。

自分がしてしまった事に対する何かを行動によって補填する。

それこそが誠意だ。

 

 

「ごめんね」の演技がうまい人に騙されてはいけない。

 

 

「自分だけが正しくて、周りが全員間違ってる」のと「自分だけが間違っていて、周りが全員正しい」のは区別できない。

f:id:kirinnox:20191009131526j:plain

 

そもそも、「正しい」ってなんだ。という話になるけど。

 

 

勉強を生業にしている身からすると、「正しい」とは「事実」とか「科学的に正しい」「合理的」って気がする。

正義の反対は別の正義とかいう言葉もあるけど。

 

 

とにかく、正しいかどうかって非常に難しい。

 

 

「時間の進み方はどの場所でも同じ」という、誰もが「科学的に正しい」と思っていた内容も、相対性理論によって覆された。

その更に前は、「地球は平面」と信じられていた時代もあるし、「太陽が地球の周りを回っている」と言われていた時代もあった。

 

 

今、私達、大衆のほとんどが信じている事柄も、本当は科学的に正しくないかもしれない。

地球は球ではなく立方体かもしれないし、火星の内部には地底人が住んでいるかもしれないし、今生きてる人は全員哲学的ゾンビかもしれない。

地球温暖化、しているのかもしれないし、していないのかもしれない。

 

 

とにかく、正しいかどうかなんて、もはや、わからない。

絶対に正しいことなんて、ないに等しいのだ。

 

 

っであれば

「自分だけが間違っている」 とき。

それは「自分だけが正しい」可能性だってあると思うんだ。

 

 

「自分だけが正しくて、周りが全員間違ってる」

「自分だけが間違っていて、周りが全員正しい」

というのはどちらも「自分と周り全員が異なっている」っという状況に過ぎない。

 

 

小学校のとき、数学の問題が出された。

「では、正解だと思うものに手を上げて。」

よくあるやつだ。

私は、当然答えだと思うものに手を上げたが、手を上げたのは私一人だった。

みんな手を上げるものだと思っていた。

 

 

先生に「なぜそれが正しいと思った?キリンノックス。説明しろ」と言われて、しどろもどろになり説明できなかった。

友達には馬鹿にされたが、結論としては、私一人だけ正解だった。

 

 

おれは残念ながら天才ではない。

恐らく、クラスの中にはわかっていたやつもいたはずだ。

手を上げなかったのは、恐らく少数派になりたくないからだ。

 

 

少数派か多数派かというのは、正しい正しくないには関係がない。

「少数派は間違っている」という考えを捨てなければならない。

 

 

例え、それが自分一人であっても。

 

 

嫉妬しない方法

f:id:kirinnox:20191001162926j:plain

 

嫉妬は7つの大罪の一つだ。

他人が幸せかどうかは、自分の幸せには直接的な関係はない。

知り合いが幸せかどうかは、自分の幸せには直接的な関係はない。

 

 

ではなぜ、羨ましいという気持ちを持ってしまうのか。

「他人の不幸は蜜の味」という言葉まである。

 

 

私は、嫉妬の根本的な原因はひとつしかないと思う。

ズバリ。

 

自分が幸せではないからだ。

 

 

自分の人生に何か不満を持っているからだ。

 

 

仕事に対する不満かもしれないし、パートナーに対する不満かもしれない。

自分の夢が、実現から遠いという不満かもしれないし、自分の能力が足りないという不満かもしれない。

 

 

とにかく、嫉妬してしまう原因は、自分の人生の不満を置いて他にはないと思う。

っであれば、嫉妬心を克服する方法はひとつしかない。

 

 

幸せになることだ。

 

 

やりたい仕事に付き、愛する人に出会い、夢を実現する。

 

これ以外にはない。

 

やりたい仕事に付き、愛する人に出会い、夢を実現するするための努力をする。

 

嫉妬心を払拭する方法は、これ以外にはない。

 

 

先輩「真面目に生きてれば絶対に大丈夫だから。」

f:id:kirinnox:20190925183424p:plain

 

「真面目に生きてれば絶対に大丈夫だから。」

この言葉は私にとって、思い出深い言葉だ。

私が大学生の頃、先輩に言われた言葉。

 

 

その頃。

私は、真面目過ぎて悩んでいた。

真面目は損なのか?

正直者は馬鹿を見るのか?

クソ真面目に生きていた今までの人生に意味なんかなくて、不真面目にヘラヘラ生きてきた奴らが成功する世界なのか?

恋愛でも、仕事でも、なんでも、真面目なヤツより、勢いのある声の大きいだけの人が勝つのか・・・

そう思って苦しんでいた。 

 

 

先輩

f:id:kirinnox:20190925181613j:plain

私はなぜか、目上の人と仲良くなれない。

友達は同級生と後輩が圧倒的に多いような人間だ。

しかも、その先輩大学生(30)だったw

しかし、なぜか気が合って先輩の家にはよくお邪魔してボードゲームとかやっていた。

多分、私は先輩のおとなしい真面目な雰囲気が好きだったんだと思う。

 

 

その先輩と飲みに言った帰りに、私は「真面目に生きてて意味あるんですかね?」みたいな弱音を吐いた。

ずっと喉につっかえている魚の骨みたいな問いだった。

 

 

先輩も結構酔っていた

「キリンノックス大丈夫だ!真面目に生きてれば絶対に大丈夫だ!もうね、真面目に生きてれば絶対!絶対!大丈夫だから!」

っと言ってくれた。

力強い言葉だった。

私は、泣いた。

涙が出てきて止まらなかった。

 

 

何年かあと。

私はその言葉を別の後輩に言った。

私が勇気づけられた言葉誰かを勇気付けたかったからだ。

その後輩は、今でも私の事を慕ってくれている。

 

 

しかし、今。私は考え方が変わった。

この記事に書いた通りだ。

www.kirinnox.com

 

真面目なだけではダメだ。

世の中そんなに、優しくない。

勇気や主体性を欠いた「バカ真面目なだけ」ではダメだ。

真面目な人は負ける。

 

粗野な人種は人生でいつも勝ちどきをあげる。繊細な人種はいつも負ける。負けて負けて負けつづける。これは、もう人類の歴史始まって以来の不動の法則だ。

中島義道カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)

 

「真面目に生きてれば絶対に大丈夫だ。」

その言葉を言われた時は、確かに私は勇気付けられた。

しかし、このような言葉はただ真面目であることを助長する。

 

 

自分が真面目であることに不満があるなら、真面目に生きるなんて辞めたほうが良い。

真面目に生きた人がバカを見る様なんか見たくない。

 

 

打算の真面目本当の真面目なのか?

先生に怒られないために真面目に生きているのか?

トラブルが起きないために、真面目に生きているのか?

自分の評価を上げるために真面目に生きているのか?

報われるために、真面目に生きてるのか?

 

 

真面目に生きなければ、嫌だから。

真面目に生きなければ、気持ち悪いから。

真面目に誠実に生きなければ後悔してしまう気がするから。

ただ、真面目に生きたいから真面目に生きる。

それで負けても、後悔はしない。

 

 

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

 

なぜ日本人は踊り狂わないのか。

f:id:kirinnox:20190919172817j:plain

 

私は以前の記事でこう書きました。

 

外国人ってノリが良くていいよね。 おれも結婚式で踊り狂いたいんだけど・・・ なんで日本の結婚式は誰も踊り狂ってないの?・・・

はてなブログのアクセス解析のPV数 ≒ Google AnalyticsのPV数【はてな解析が突然正確になった。】 - キリンノックスの日記

 

日本人は世界一踊らない民族と言われているらしい。

 

 

私が言いたい「踊る」というのは、練習したダンスを披露するわけではないし、みんなで同じ動きで盆踊りをする踊りではない。

音楽を聞いたら、リズムが心地よくて、乗らずにはいられない。

それで、頭を振り乱して、足が勝手にステップを踏み出して、音楽に合わせて、ノルのだ。

 

 

私は、すぐに踊り狂いたくなってしまう。

おれは、一人のとき、かなり歌ってるし、誰にも見られてなければ、ヘトバンしてる。(職場でもw)

便器に座ればヘトバンしながらうんこしてる。

信号待ちでもヘトバンしてる。

自室ではいつも踊ってる。

踊りながらブログ書いてる。

 

 

後述するが、おれがドラマーっていうのも関係しているかもしれない。

f:id:kirinnox:20190919173232j:plain

↑おれw

 

リズムを体全体で取るのがクセになっているのかも。

友達のドラマーは、みんな踊るのが好きそうだ。

友達のドラマー「家で踊るよね?」っていったら「全裸で踊ってるよ」っと言っていたw

 

 

 

しかし

アーティストのライブに行っても

結婚式でも

その他、音楽がかかっている場所でも

日本人はやっぱり、みんなあんまり踊ってないように、私には思えます。

f:id:kirinnox:20190919173900j:plain

 

 

 

おれはもっと踊り狂いたいのに。

一人で踊り狂ってると変な目で見られる・・・

 

 

というわけで、独断と偏見により、日本人が踊らない理由を考察しました。

私は、海外にあまり詳しくないので、完全にイメージで書いていますw

一個人の意見として読んでね。 

 

 

「ダンスが上手くないので。」っと思ってそう。

 

f:id:kirinnox:20190919174346p:plain

日本人は踊ろう!っとなったとき「ダンスの踊り方がわからないので・・・」とか言いそう・・・

ちゃんとダンスを練習した人は踊るが、ダンスが専門でない人は「踊れないので・・・」と言って踊らなさそう。

 

 

「踊れるか踊れないか」じゃないだろう・・・・

「躍るか踊らないか」なんじゃないか!?

 

 

下手でもなんでも楽しきゃ良いじゃん。

というか、おれは、うまく躍るために踊ってるわけじゃないんだ・・・

もはや音楽にのらない方が苦痛だから、踊ってるんだ。

 

 

コレは私の勝手なイメージですが

日本人に「Can you speak English?」っと聞けば、「No , I can't speak English , Sorry 」って言いそう。

ノリの良いアメリカ人に「Can you speak Japanese?」っと聞けば

「YEEES!Hooooo!SUSHI!YEAH!!!」って言いそう。

 

 

踊り狂う楽しさを知らない?

f:id:kirinnox:20190919174510j:plain

 

超楽しいのに。

踊ったことがないとしか思えない。

私は、踊る楽しさを知ってしまった。

あれは大学1年の時だった・・・

 

 

オタク上がり、大学デビューのおれは、バンドサークルに入った。

大学1年の時に参加したライブ。

同じ、大学1年の、ヤンキーみたいな友達が、踊り狂っていたのだww(以前の記事に書いた、ライブ中にギターを折ってるやつw)

 

 

そいつは腰からヘトバンしていたし、「すべり台よりおもしれぇ。」と言いながら、客の上をダイブして滑っていた。

おれは衝撃を受けた。

なんだ!?コイツ!?

 

 

試しに一緒になって踊り狂ってみた。

f:id:kirinnox:20190919174439p:plain

 

気持ち良すぎた。

超楽しかった。

それ以来、私は4年間、バンドサークルで踊り狂っていた。

モッシュだ!ダイブだ!ヘドバンだ!

もう、音楽を聞くと止まれない体になってしまった。

あの経験がなかったら、私も踊り狂おうなんて思わなかったかもしれない。

 

 

 

教育によって、間違い、突飛な行動は良くないと刷り込まれている?

f:id:kirinnox:20190919174841j:plain

私はまがいなりにも教育関係に従事しております。

そんな私から見て、日本人が踊らない原因の一つに「教育」がありそう・・・

 

 

日本の教育は減点方式だ。

正しい解答があって、それではない解答はバツつけられる。

集団の中でうまくやっていく能力が評価され、突飛な行動や間違いを咎める傾向にあるような気がしてならない・・・

 

 

海外はむしろ、人と違う突出した行動をした方が褒められてそう。(イメージですが)

日本の、突飛な行動を咎められてきた学生達は、集団からはずれた行動を取らなくなるため、突飛な人は余計目立つ事になる。

しかも、「突飛な行動はおかしい」「集団からはずれるのはいけないことだ。」と刷り込まれた周囲の目は冷たい・・・

 

 

サッカーの本田選手はサッカーの監督をしたときに「ミスしたらガッツポーズしろ。」っと言ったらしい。

これ、非常に良いなぁ。と思う。

それくらいしないと、吹っ切れないくらい、ミスや他人と違う行動にビビっている。ということなのかもしれない。

 

 

そうであれば、みんなが踊ってないのに、一人だけ踊るなんてできないよね・・・

最初に踊り出す人がいないと、みんなうずうずしてても、ライブは盛り上がらないんだ。

 

 

 

みんな、踊り狂おうよ!!

f:id:kirinnox:20190919174524j:plain

おれは一人じゃなくて、みんなで踊りたい。

みんなで踊ったほうが楽しいからだ。

解決策は一つしかない。

みんなで踊り狂うのだ!!

そして、踊り狂ってない人がおかしいみたいな空気にするしかない!!!

踊り狂うのが普通であり、踊らないで突っ立っている人が、突飛な人という国にしようじゃないかあああああ

令和版の「ええじゃないか」のムーブメントを起こそうじゃないかああああああああああああああ

 


歌っちゃいけないと言われていたのに!映画『グレイテスト・ショーマン』「From Now On」特別映像

 

 

この世が地獄である5つの理由

f:id:kirinnox:20190913200235j:plain

何度も書いてきましたが、何度でも書きます。

 

 

私は、生きづらい。

生き辛い

生き辛いというのは、生きるのが辛いってことだ。

私は毎日思っている。

「この世は地獄だ」

 

 

この記事には私が考える「この世が地獄である理由」を書きましたが、解決策は思い付きません。

解決策があったなら、良かったのにね。

 

 

 

この世が地獄である5つの理由。

f:id:kirinnox:20190913200221j:plain

  1. 人生は運だから。
  2. 弱肉強食の世界だから。
  3. 生きる理由が無いから。
  4. 人間は欲望を抱えて生きているから。
  5. 行き着く先は死だから。

 


人生は運だから。

f:id:kirinnox:20190913200457j:plain

私たちの体はDNAを元に作られている。

そして、私たちが、喜怒哀楽、愛情、憎しみ、苦しみ、幸せ、不幸を感じているこの脳みそも、設計図であるDNAの分子構造によって作られている。

そして、自分が生まれる前に与えられた分子構造を変えることはできず、私が今のこのような私になったのは、私の努力や意思を超越した「運」以外の何物でもない。

 

 

「この世は地獄だ。」と言ったが、実はそれはすべての人には当てはまらない。

運が良い者にとって、この世は地獄ではない。

いや、天国だと言う者もいるだろう。

問題は、運が悪かった者にとって、この世が地獄だという事なんだ。

 

 

運によって、恵まれた者と恵まれない者がいるのは明白だ。

私だって、アラブの石油王の超イケメンの性格ポジティブの超健康体に生まれていたらこんな文章書いていないw

 

 

それと、以前も書いたけれども「人生は努力で変えていける」と言うのも、詭弁に思えてしまう。

努力でなんとかならないレベルの問題もあるし、努力ができるという能力や性格なども、DNAや生まれた環境、つまり「運」によって決まっている気がしてならないからだ。

ポジティブな考え方や、努力によって自分を変えようという気力も、全てはDNAによって作られた脳から湧いているのだから。

 

 

顔、体格、体の性質、性格、生まれた環境が生まれた時点で決まっている。

そして、それが苦痛を伴うものだった場合。この世は地獄と化す

 

 

 

この世は弱肉強食だから。

f:id:kirinnox:20190913200901j:plain

人生は運だというのは、何も「自分の体や性格」の話だけではない。

生きることも、運の要素を多分に帯びている。

一生懸命生きても、運で上手く行かないこともある。

悪い事をしても、運良く捕まらず、咎められず、のうのうと生きている人もいる。

 

 

弱肉強食。

自然界では食うか食われるかだが、人間の世界で食われて死ぬような事はほぼありません。

 

 

弱肉強食人間の世界では「金」という指標に変換されているように思います。

人間で言う「弱い」とは、金を持っていない人だ。金を持っていない人は飢える。

人間で言う「強い」とは、金を持っている事だ。金を持っていれば、食うのに困らない。

 

 

金も、金を稼ぐ能力もない。それは弱いという事だ。

金も、金を稼ぐ力も持っている。それは強いという事だ。

自然界の弱き者の運命は「肉」である。

「肉」になる生物にとって、この世は地獄である。

 

 

 

生きる理由が無いから。

f:id:kirinnox:20190913201940p:plain

私はニヒリストだ。

ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、英: Nihilism、独: Nihilismus)とは、この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。

ニヒリズム - Wikipedia

 

なぜ、私はニヒリズムを信じているのか。

それは、科学的に正しいと思っているからだ。

自分が生まれたのは、何億年もの間、分子が動いて衝突した結果である。

自分が生まれた理由を問うことは、ビリアードの玉がぶつかるとなぜ跳ね返るのか、と問うているのと同じである。

 

 

人類が生まれた理由を問う事、人類が生きる目的を問う事は、この世界の前提となっている「物理法則」を問う事になる。

そして、最終的には、「世界がそうなっているから」以上の答えは出ないように思う。

明確に生きる理由はなく、ただ生まれ、生きて、死ぬ。

ゴールのないマラソンを私達は延々と走り続けている。

走る事は辛いが、止まる事はもっと辛いマラソンだ。

なぜなら、立ち止まる事に苦痛を感じるようにDNAに刻まれているから。

 

 

 

人間は欲望を抱えて生きているから。

f:id:kirinnox:20190913201311j:plain

以前の記事にも書きました。

www.kirinnox.com

 

人はいろいろな物を手に入れるために心を悩ます。

その理由も、少しでも生存に有利になろうというDNAの結果だと思える。

 

 

空腹は苦しい、痛みも苦しい、より食べたい、異性を得たい、心地よい暮らしをしたい。

生存に有利になるために「苦しみ」がプログラムされている。

生きることに目的も意味も無いのに、生きるために苦しみや不安を抱くようにDNAに刻まれている。

 

 

 

行き着く先は死だから。

f:id:kirinnox:20190913200923j:plain

どんなに、あがいて、もがいて、生きようと、いつか死ぬ。

人間には生存本能がある。DNAに埋め込まれている。

私達のDNAは、自分の死、さらには自分の子孫の死、そして人類の死を最も恐れている。

 

 

それなのに、人は死ぬ。

自分の子供もいつか死ぬ。

そして、人類も恐らくいつか絶滅する。

www.kirinnox.com

 

DNAが最も恐れている「死」

私達が最も嫌悪し、最も不安し、最も苦しむのは、「死」であるというのに、最終的に行き着く先は「死」である。

私達も、私達の子供も、親も、孫も、ひ孫も、そして人類も恐らく「死」を避ける事はできないだろう。

 

なぜ、こんな皮肉な世界になってしまったのだろう。

 

 

 

自己流で瞑想してみたら、めっちゃ良かった。

f:id:kirinnox:20190903212633j:plain

 

タイトルの通りです!

自己流で瞑想してみたら、めっちゃ良かった。

瞑想のやり方調べても、みんなごちゃごちゃいろんな事言ってて意味わからなかったw

マインドフルネス瞑想??

気づきの状態?

よくわからん。

 

 

という訳で自己流で瞑想するに至りました。

先に結果を述べるとめっちゃ良かった。

 

 

キリンノ流瞑想

f:id:kirinnox:20190903212858j:plain

  • 時間を決める(5分)
  • 座り方も呼吸も適当(自然)
  • 少しなら動いても良い
  • テーマは我慢

 

時間を決める

f:id:kirinnox:20190903213350j:plain

なんか、時間を決めずに瞑想してるとモヤモヤしてくるんですよね。

スッキリするどころかモヤモヤする。

そこで、コチラのタイマーアプリ

play.google.com

 

5分をスタートします。

時間を決めておくと逆に集中できます。

 

 

座り方も呼吸も適当(自然)

f:id:kirinnox:20190903213432j:plain

自然な状態が良いと思ったんですよ。

だって、無理してなんかの呼吸をやっても、それって不自然な呼吸じゃないですか。

なので、体勢も呼吸もリラックスすれば、特に意識しない事にしました。

結果、あぐら

手の指は丸にしてみたりw(気分的に)

目は閉じる事にした。

 

 

少しなら動いても良い

f:id:kirinnox:20190903213458p:plain

どうなんでしょう

ちょっと頭が痒くなったとき明鏡止水で耐えなければならないのでしょうか?

でも、痒かったら掻くのが自然だと思いますw

っというわけで、私は、痒かったり、体勢が辛かったら動いても良いことにしました。

不自然に耐えるより、それが自然

 

 

テーマは我慢

f:id:kirinnox:20190903213554j:plain

私は暇が嫌いです。

なんとなく時間を埋めてしまう。

スマホをいじったり、水を飲んだり、お菓子を食べたり、パソコンをいじったり。

アレをしないと、コレをしないと、洗い物しないと、洗濯しないと、ブログ書かないと・・・

目を閉じて何もしない。っていうのは、私にとっては結構苦痛w

常に動いてないと気がすまない性格なんです。

5分間、何もしないのは私には容易ではない

実際やったとき10回くらい失敗したw

 

 

5分何もしないで耐えられない。スマホいじりたくなるw

しかし、それを我慢して、何もしない。

これは私の瞑想に於けるテーマです。(自己流だからなんかやり方間違ってるかもしれんけどw)

 

 

 

瞑想してみた。

f:id:kirinnox:20190903213852j:plain

 

瞑想をし始めると、本当にいろいろな事が頭に浮かんでくる。

私の頭の中に自分の声がうるさいくらいにわーわー言ってる。

 

 

「瞑想ネタでブログ書こう」
「瞑想をブログに書いたらどんな反応が来るだろうか」
「そう言えば、ネタ切れしない方法、書き途中だったな。」
「最近はネットの記事を読みすぎている。だから疲れるんだ。」
「月に何十万も稼いでるブロガー、アフィリエイターは羨ましい。」
「それは、もちろん、金があるから羨ましいのではなくて、自分の好きなことで生きているから羨ましいんだ。」
「金を稼げても、おれが嫌嫌ながらやった事で稼げても意味がない。」
「他のブロガーさんに絡むのは怖いな。特に炎上商法系の人に絡むのは怖い。」
「私は、独りがあってる。馴れ合いやワイワイするのは好きじゃない。」
「おれは独りが良いんだ。」
「瞑想は良いかもしれない。私は普通に生きていたら、1日に5分として、何もしないなんてことはない。」
「なにかしてるのが好きだから、常に動いている。」
「でも、スマホをいじってて、気づいたら1時間経ってた。なんてこともある。これは良くない。」
「もし、自分のやりたいことがはっきりして、脳みそもしゃっきりするなら、5分の瞑想は無駄じゃない。」
「瞑想は私にとっては我慢だ。」
「「何もしない」というのは私にとって苦痛だから。」
「私は我慢するのが苦手だ。」
「食べ物や自分の欲求を我慢するのが非常に苦手だし、嫌い。」
「「暇」も嫌いだから、暇な時間をなんとなく埋めてしまう。」
「そんな事を繰り返していたら、石から入れられない(参照)」
「瞑想は「何もしない」事を我慢することで、我慢する練習になるのかもしれない。」
「練習はどんなことにも効果的だ。すべてを決断し、すべてを判断し、実行させるのは脳なのだから。その脳の回路を整える事は無駄ではない。」
ボードゲームブログ書きたいな。」
「お盆休みがまた来て欲しい。」
「そういえば、体が不自由な人で、「瞑想がキマると明日も生きようと思える」と言っていた人がいたな。あの言葉は印象的だった。」
「体は脱力した方が良いのか?」
「手の形はどうするのが一番良いのだろう。」
「いや、自然体が一番のはずだ、自然体・・・自然体・・・」
「眠くなってきた・・・」
「このおれの状態をはたからみたらどう見えるんだろうw」
「夕方なのに、スズメが鳴いているな。スズメの声は朝が印象的だが、一日中鳴いているんだな。」
「虫の声も聞こえる。もう秋だな。」
「喉が少し痛いな。後でうがいをしよう。」

 

 

突然考えることがなくなった。

 

 

考え尽くすと、考えることがなくなってくる。

まるで、頭の中に溜まっていた食べ物が消化されたような感じだ。

徹底的に思っている事を考え尽くすと、頭の中が無になるのかもしれない。

そして、なんか笑えてくるw

何も考えてないなんて笑える。

 

 

スマホやパソコンばっかりいじっていると、常に情報を入れたくなってしまう。

それでは情報の胃もたれがおこる。

脳みそにとっては一日中食い続けてるのと同じなのかもしれない。

一度、食べるのをやめて消化しなければ。

脳による情報の消化。

それが瞑想なのかもしれない。

 

 

その時、私の脳内には、広大な荒野が広がっていた。

頭が空っぽになった私は、荒野にいた。

 

 

続いてそのイメージも消え、無になった。

 

 

なんか、体が回転してくる。

体は止まっているのに、三半規管が狂ってくるw

頭がクラクしてくる。

酔うw

 

 

5分のタイマーが鳴る。

 

 

効果

f:id:kirinnox:20190903214334j:plain

  • 非常に頭がスッキリした!!
  • さっきまで脳が疲れていたが、かなり疲れが取れた気がする。
  • 心なしか体も軽い。
  • 少しポジティブになった気がする。

 

 

瞑想、意外とめっちゃ良いぞ!

やり方よくわからなくて自己流でやってみたけど、かなり良かった。

皆さんも是非やってみてください。

やり方適当にやっても意外と効果あるかもしれませんよ!

 

 

余談

私は結構不眠症気味なのですが、

寝る前にベッドに横になりながら5分タイマーをスタートさせました。

タイマーの終了を聞かずに眠りに落ちました。

 

 

寝れないとついスマホをいじってしまう。

ブルーライト浴びるし、脳が活性化して余計寝れなくなる。

それを「我慢して瞑想」する事ですぐ寝れるのかもしれない。

 

 

 

 

ちなみに私は瞑想しているが、ブログは迷走している。

キリンノックスでした。グッナイ! 

 

 

コチラの記事もどうぞ!

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

 

 

人間はまばたき中に目を閉じる直前の映像によって脳内で補完している可能性の仮説【時間的盲点の補完】

f:id:kirinnox:20190902152004j:plain

 

今週のお題「わたしの自由研究」

 

 

私は一応、科学を教える事を生業にしている。

これは私が思ったことだ。

本題に入る前に盲点の話をしよう。

 

 

盲点

よく比喩的に「盲点だった」とか言うが、人間の目には実際に見えていない部分が存在する。

目の視神経があるところには、光受容体がないので、見えない箇所が存在するのだ。

f:id:kirinnox:20190902140400j:plain

引用:盲点 - Wikipedia

 

盲点はこのような図形で確認できる。

 

 

f:id:kirinnox:20190902140610p:plain

 

 

少し離れた2点

左目を閉じて右目で♡を見る。

図形と目の距離を調節するとあるところで✕印が見えなくなる。

これにより、見えていない箇所 = 盲点を確認することができる。

 

 

しかし、日頃、私達は盲点の存在を意識していない。

目で見ている画面上に、無の領域が存在しているという感覚はない。

これは、フィリングインという脳の作用により、盲点の箇所の映像が推定され、補完されているからである。

このフィリングインも非常に面白い話であるので、是非調べてみて欲しい。

参考文献

http://www.hues.kyushu-u.ac.jp/education/student/pdf/2002/2HE01044G.pdf

http://hfy-lab.eng.ibaraki.ac.jp/kagaku/fillingin/

 

 

私の仮説

f:id:kirinnox:20190902152420j:plain

私は、車に乗っていた。

ふと、隣の車のタイヤに目をやった。

タイヤは高速回転し、ホイールはブレてはっきりと視認することはできない。

しかし、私がまばたきをした瞬間。

車のホイールがはっきりと見えたのだ。

f:id:kirinnox:20190902152431j:plain

 

最初はなぜ見えたのかわからなかったが、もう一度瞬きした瞬間、再びくっきりとホイールが見えた。

私は目をパチパチさせた。

ホイールが何度もくっきりと見えた。

 

 

私は考えた。

目を開けて高速回転するホイールを見ているとき、車のホイールはブレて、よく見えない。

しかし、瞬きした瞬間はくっきりと見える。

まるで、動画から静止画に変わるように。

脳はまばたき中の世界まばたきする直前の静止画によって補完しているのではないか?

 

 

瞬き中というのは、一瞬ではあるが、世界がブラックアウトしているはずである。

しかし、日常生活の中で、私達は世界のブラックアウトを意識しない。

それは、目を閉じる寸前の景色を、脳が記憶し、ブラックアウトの時間的盲点を埋めているからなのではないかと私は推察したのだ。

 

 

人間が見ている景色は、もちろん動画だが、瞬きの刹那だけ、瞬き寸前の画面が静止画として、まばたき中は認識されているのではないか。

画像の一部が見えない盲点の部分を、脳みそが推測によって補うなら

瞬き中の時間的盲点を脳みそが推測によって補っていても不思議ではない。

 

 

 

余談

f:id:kirinnox:20190902152512j:plain

私は、更にこの仮説からハトを想起した。

ハトは歩くとき、一瞬一瞬首を静止しながら歩く。

それは、首を一時的に止める事によって、世界の静止画を得るためらしい。

 

 

車のホイールの件で言えば、動画は静止画の連続であるはずなのに、動画を見ている私達は、静止画を見ることはできない。

くっきりしたホイールの連続画像を見ているはずなのに、動いているホイールを鮮明に見ることはできないのだ。

ハトは、首を動かすという、労力を消費し静止画を得ている。

労力を消費して静止画を得るからには、静止画が動画情報よりも、有益な物を含んでいるという推測をすることができる。

脳が処理する情報としては、動画は静止画の上位互換ではない可能性が示唆される。

 

 

余談の余談

私は目の付け所が独特過ぎて、高校時代友達から「天才」と呼ばれていました。

今となっては「変態」または「馬鹿」と呼ばれている。

「ド変態」を目指してがんばっています。

 

 

 

コチラの記事もどうぞ!

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

 

 

おれは一人がいい。おれは一人でいい。一人が好きだから。

f:id:kirinnox:20190830180452j:plain

俺は…一人がいいんだーーーー!!!!

引用:孤高の人1巻

 

私は、一人でいるのが好きです。

以上です。

終わり。

 

 

 

 

最初に

f:id:kirinnox:20190830180659j:plain

私はぼっちが好きですが、既婚です。

独身という意味での「ひとり」ではありません。

「ぼっち」=友達が少ない、独りが好き、群れない。

という意味での独りです。

しいて言えばふたりぼっちかも。

 

 

 

自分と合わない人間がいるとすぐ離れてしまうからぼっちになる。

f:id:kirinnox:20190822180507j:plain

私は、すぐに離れる人です。

どうも 気に食わない、嫌い、自己中、馬鹿、意地悪 な人間に会ったときはヘラヘラしながら距離を置きます。

人間関係で問題が起きたとき「注意や話し合いをするタイプの人」「いなくなるタイプの人」がいます。

私は完全に「注意や議論をせず、スッといなくなるタイプ」の人間です。

 

 

それを繰り返してきました。

それなりに仲の良い友達の集まりがあっても、その中にあまり好きじゃない人が1人でもいると、誘いを断ってきました。

友達に会いたいという欲求よりも、独りでいたいという欲求が勝ります。

 

 

バンドもやっていましたが、すぐ脱退する人だったw

ある日突然、バンドメンバーが訳のわからない曲を作ってきて、訳のわからないドラムを叩かされました。

「キリンノックス・・・叩けないの?」

ムカついたので脱退しました。

 

 

人が気に入らない → 離れる

この思考は変わった事がありませんし、ずっとそれを続けてきた結果

友達が減りました。

 

 

これは私が自己中なことにも原因があります。

人に合わせたくないし、指図されたくない。

自分が正しいと思ってる。(ナルシスト?)

自分が思ったことを曲げたくない。

自分がやりたくないことはやりたくない。

 

 

っであれば、選択肢は2つしかありません。

  • 相手を曲げるか。
  • 独りでいるか。

 

相手を曲げるのは労力がかかりすぎます。

というか、人はそう簡単に曲がりません。

 

 

しかも、大概の事は独りでできるし。

独りでできるもん!!!

という訳で結果、独りを選んできました。

 

 

無理に仲良くするような友達ならいらない。

f:id:kirinnox:20190830181522j:plain

 

友達なんて必要ねぇから

引用:孤高の人1巻

 

友達を作るのは義務ではない。

もはや「仲良くする」「仲良くしてあげる」という気持ちで誰かと接したくない。

本当に気の合う人がいれば、無理に仲良くしなくても「自然と仲良くなってしまう」と思うから。

 

 

 

人間は独りでは生きていけない?

f:id:kirinnox:20190830181751j:plain

人は独りで生きていけると思う。

人が生きていくために必要なのは、衣食住だ。

そしてそれを得るためには金が必要

友達がいないと、ピンチのときに助けてくれないかもしれないが、その程度だ。

(友達がいても助けてくれないかもしれないし)

 

 

 

重要な事は独りでなければできないと思う。

f:id:kirinnox:20190830181930j:plain

個人的には、人生に於いて重要な事に取り組むのは、独りで取り組むのが良い。と思います。

友達といるときは、やっぱり何かを楽しむときです。

レジャーとか、食事とか。

それは確かに楽しいんだけど。

自分の能力を高めたり、何かを創作したりするときは独りが良い。

 

 

友達がいなくても楽しめてしまう

私は、多趣味です。

www.kirinnox.com

 

独りでいても結構楽しい。

誰かと喋ってるより、考え事してる方が楽しい。

音楽も、一人でできる。

バンドとかも、みんな一人で音楽やっている人同士が集まって、やるんだと思う。

それぞれ、一人でやってる音楽が、そこで合わせるだけ。

 

 

独りは素早い

f:id:kirinnox:20190830182206j:plain

誰とも話し合う必要がないため、即断即決で行動できます。

心地が良いです。

何が起きても、全て自分の責任です。

誰のせいにもできない。

これもまた気持ちが良い。

責任の所在を確認する必要もなければ、押し付け合いも起こらない。

一人でいれば、誰かに頼る「甘え」も起こらない。

 

 

独りは自由

f:id:kirinnox:20190830183013j:plain

 

独りは自由です。

 

 

 

でも、たまに、誰かに会いたくなる。

f:id:kirinnox:20190830182601j:plain

 

そうは言ってもたまに誰かに会うと楽しい。

でもそんなに頻繁に会わなくても良い。

おれは、独りだって構わねぇ。

 

 

俺は変なのか?

変でも構わねぇ…

たとえ世界中の人間が俺を否定したとしても

お前さえいれば前に進める

 

引用:孤高の人12巻

 

私が孤独でも良いと思えた漫画。


孤高の人 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

コチラの本もオススメです。

孤独に生きる勇気を貰えます。


生きるのが困難な人々へ 孤独について (文春文庫)

 

 

 

関連記事

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

www.kirinnox.com

 

 


 

プライバシーポリシー / お問い合わせフォーム
©2019 キリンノックス