【自由と苦痛】定職につかない辛さ【労働と金】




自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い物には堪えることは出来ない。

芥川龍之介 『侏儒の言葉』 

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私は、正規雇用だ。そして、職場も一箇所ではない。

学校、塾、家庭教師、とにかく、勉強を教える仕事で日銭を稼いでいる。

雇われであり、個人事業でもある。

 

 


定職につかないメリットもある。

 

 

自由であることだ。

 


正社員に比べると、自由な時間が多い。

今も、春休み(この業種、春は特に仕事が少ない)でブログばっか書いている。

自由は気持ち良いが、それと引き換えにいろいろな苦痛を抱えて生きているのが正直なところだ。

 


苦痛とは、すなわち、不安定である事に対する苦痛だ。(当たり前だが・・・)

来年、全ての仕事を一気に失う可能性も0ではない。

もちろん、可能性の話をはじめれば、正社員の方も、職を失う可能性は0ではないのではないかと思うが、私の方が職を失う可能性は高い。

 

 

なぜかと言えば、正社員の方は「来年も雇われる」事が基本である。

いや、「雇われる事が基本」という言い方すら違和感を感じる。

来年もそこで働きたければ働ける。

それが法律でもある程度保証されている。

 

 

これの羨ましさはある。

一方非正規の私は、「来年雇われるかどうかはわからない」のが基本である。

私はこの恐怖、焦燥感と引き換えに、多少の自由な時間を得ていると言っても過言ではない。

 

 

いや、来年だったらまだいい。来年はおそらく、私に仕事はある。

どの職場も「来年も働いてください」という空気を感じる。 

だが、それが何年続くかはまったくわからない。

2年後、3年後、4年後、と想像すればするほど、将来のビジョンにモヤがかかってくる。

 

 

年齢が上がるに連れて、不利になっていくのも、非正規雇用の特徴だ。 

正社員の方は年齢を重ねれば、後輩が入ってきて、ポストも上がって行くことだろう。(想像ですが)

しかし、非正規の私は、歳を食えば食うほど、不利になる。

 

 

これは恐ろしい事だ。

書いていて恐ろしい。体に戦慄が走る。 

 

 

では、私は正社員になりたいのか?というと、実は悩んでいる。 

私は、自由が好きだから。

しかし、自由でありながらも私は苛まれている。

自由は気持ちい、だが、この将来への不安は、かなりの苦痛だ。

 

 

どちらなのだろうか。 

自由 >> 不安定に対する苦痛

なのだろうか

自由 << 不安定に対する苦痛

なのだろうか

 

 

おそらく、完全に自営業の方、ブロガー、フリーランスの方などは私よりも、この振れ幅が大きい事と推測する。 

 

 

この大小関係が 

自由 >> 苦痛

の人であれば、フリーで働くほうが合っているし、

自由 << 苦痛

の人であれば、正社員で働く方が向いているということになる。

 

 

正社員の人数と、自営業・フリーランスの人数は、おそらく今の日本は正社員の方が多いだろう。

しかし、時代は変わって、フリー側の数はどんどん増えているような印象を受けている。

 


赤信号、みんなで渡ればなんとやら、というやつで、フリーの人間が増えれば増えるほど、この苦痛は減って行くのだろうか。

いや、それはわからない。

自分一人で戦っていくためには、自分の能力が不可欠だからだ。

能力のみの世界だ。

能力がなければ、不安定の波にさらわれ、どこへともなく流されていくだろう。

 

 

「自由と苦痛」か「労働とパン」か

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この記事のタイトルにも書いたが、「自由と苦痛」「労働とパン」どちらを選ぶかという話を何かの本で読んだ。

 

 

人は「自由」と「労働 とパン(食料)」という選択があったとき、意外と「労働とパン」を選ぶものなんだ。 

自由なんて、生きていく保証がない。

人間に限らず、生物は、生きていく事が、一番の目的なのだから、生きるか死ぬかわからない「自由」よりも、最低限の生活が約束されている「労働とパン(食料)」を選ぶのだろう。

 


私は悩んでいるのです。

 

 

「自由と苦痛」を取るか「労働とパン」を取るか。

 

 

どちらを選んだ人もいると思います。

自分が納得できれば正解だと思います。

 

 

私は答えはもう、半分出ているのですが、 

果たして私は、苦痛に耐えられるだろうか。

 

 

私の尊敬する。芥川龍之介よ、教えてくれ。 

 

自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い物には堪えることは出来ない。

芥川龍之介 『侏儒の言葉』 

 

私は、山巓の空気に果たして堪えられるだろうか。 

私の体が堪えられなかったとしても、澄み切った山巓の空気を、肺いっぱいに吸って、天命を全うするのは幸せなのかもしれない。

 

 


 

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