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不登校だった私が、不登校が辛くて悩む子。そして、子が不登校で悩む親に伝えたい事




タイトルではこう書きましたが、本当はこの記事は不登校だった頃の自分に言ってあげたかった言葉」なのです。つまり、こういう言葉をかけて欲しかった。という願望の記事になっております。参考になれば幸いです。

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私は、小学校、中学校の頃、不登校でした。

 

 

不良という訳ではなく、かといっていじめられているわけでもなく、ただなんとなく、学校に行きたくなかった。

理由は不明なのにも関わらず、非常に行きたくなかった。*1

そこで、私は、毎日、朝起きると腹痛を装って、何年もそれによって学校に行かなかったのである。

 

 

私は現在、28歳、学校で働いている。

そんな私から、過去の私にメッセージを贈りたい。

今だからこそ、言える言葉がある。

 

 
そもそも「学校に行かなければいけないのか?」という疑問は当時はなかった。

小学生にとって、学校とは「行かなければならない」ところである。

 

 

なぜかといえば、周りの両親や、先生は「学校に行きなさい」と言うからである。*2

しかし、現在28歳になった自分の頭で考えれば、学校に行かないという選択肢もあったような気がする。

 

 

大検受けて、大学行って就職すれば、いや、たとえ就職しなくても、今は生きていくすべがたくさんある時代だ。

要は金を稼げれば生きていける。

 

 
小中学校に行けなかった人が大学に通えるのか?という疑問がよぎるが、大学は小中学校とはまったく別世界である。

 

 

私の経験を言えば、小中学校は学力のバラツキがあってクラスに不良から優等生までいるイメージだったが、大学は受験によって、だいたい同じような学力の人たちが集まるので、気の合う人が多かったし、そもそも、クラスなんてあってないようなものなので、無理に仲良くする必要もない。

最悪独りぼっちでも、ちゃんと勉強して、レポート出してれば卒業できるのだ。
 
 


思い返せば、不登校だったころ、私は辛かった。

「学校に行かなければいけない。」という事実も辛かったし、「行かなければいけないのに、行く事ができない自分」も不甲斐なくて辛かった。

 

 

そして、毎日、仮病の演技をするのが辛かった。

学校に行かないのは悪い事だと思っていたし、周囲からの「学校に行け圧力」が多少なりともあったので、仮病を使わざるを得なかった。

 

 

もし、朝起きて元気だと「今日は元気だね、学校いってらっしゃい」となってしまうのだ。

私にとって、この言葉は非常に酷だった。元気になれない理由がこの言葉にあったような気がしてくる。

 

 

そのため、元気だったのに、午前中は仮病の演技に費やされた。

午後はケロっとして、テレビゲームなんかやってる。

 

 

おかげでたっぷりテレビゲームをすることが出来た。

学校に行かない私にとって、ゲームの中の世界はかけがえのない貴重な体験だった。

そんな小中学生だった。

 

 

誰から見ても仮病は明らかだった。

だが、両親は、元気であれば学校に行かせたがるし、お腹痛いと毎日言えば、医者に連れていく。*3

 

 

半分仮病だとわかっていても、両親も意地なのだ。

だが、これは仮病の演技をする小中学生には酷な話だ。

 

 

どう考えても仮病なのに、医者も病名を付けたがる自律神経失調症と診断され、私は「早く良くなってね」などど的外れのことを言われる。

そんな事をしていれば仮病の演技から逃れられなくなり年単位に渡る演技になってくる。

 

 

問題は体ではないのだ。心が問題なんだからいくら体の治療をしたってしょうがない。

というか、今となっては、私は心も問題なかったと言える。

 

 

私は自慢ではないが、勉強だけはでき、大人しい優等生タイプだった。

学校の勉強は難しくなくて退屈だった。

 

 

しかも、教師は意味不明なタイミングで怒ってくるし、よくわからない決まりはたくさんあるし、提出物も、授業中ノートを取らなければいけないのも、本当によく分からなかった。学校のすべてが意味不明。

今思えば、あの、よく分からなさ、意味不明さ、が私を学校から遠ざけたのだろう。

 

 

そして、学校で働く身になった現在の頭で考えると、当時の私はとてもまともだった。

なぜって、勉強ができるためには「授業中綺麗にノートを取る」必要もなければ、「漢字書き取り練習」とかいう修行も必要なく、そんなことをやらされれば、頭の良い子ほど「こんなのなんの意味があんの?意味わからん、やりたくない、学校行きたくない」ってなって当然だからだ。
 
 


話が脱線したが、私は毎日仮病の演技を続け学校を休んでいたが、今思えば、体はもちろん心も正常だったと思っている。

だが、当時の両親は仮病を続けるおれをまともだとは思ってはいなかったし、心も体も治療しようとしていた。*4 
 


そんなことをされれば、私は嫌でも「自分は異常だ」と考えざるを得ない。

異常者みたいな扱いを受ければ、小学生なんて「おれって、ダメなんだ、異常なんだ・・・」と絶対思う。まだ、知識も少なく、価値観の多様性を知らないのだから。

 

 

今思うととても可哀想だ。

ただ、おれは一言、言って欲しかった。

 

 

「おまえ仮病だろう」

 

 

誰が見ても、明らかな仮病だった。

 

 
周りは、それを病院に連れて行って、病名を付けて、おれのデリケートな心をオブラートで包み、触れようとせず、仮病に触れずに、心も体も病気として扱った。
 

 

違う。
 

 

おれのデリケートな心を包むオブラートを破って欲しかった。

おれが心の病気みたい扱うのをやめて欲しかった。

腫れ物のように触るのはやめて欲しかった。

 

 

「おまえ仮病だろう?学校に行きたくないんだろう?

いいんだ、仮病なんか、使わなくても。

行きたくないなら、行かなくていい。

やりたい事やりな。

学校なんか行かなくても大丈夫だから」

 

そう言って貰えたら、どれだけ救われただろう。

 


何年もの時間を無駄にせずに済んだだろう。

 


どれほど劣等感が拭えたろう。

 


どれほど、仮病の演技ではなく、好きな事に時間を費やせたろう。

 


どれだけ、生き生きと生きれた事だろう。

 

 

学校に行かなければならないという先入観を拭い去り、新たな気持ちで自分と向き合えただろう。

 

 

先入観を拭い去り、新たな気持ちで学校と、社会と、世界と向き合えただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

現在の私は、不登校の子とシンパシーを感じている。

不登校の子には、仕事で出会ったり、プライベートで出会ったりするが、

私と同じような子を見つけると、こう言う。

 


「学校、来たくないかぁ。気持ちわかるよ。おれも行きたくなかったもんw学校なんて来なくってもなんとかなるて、大丈夫大丈夫。君は大丈夫だ。」

 


本当は自分が言われたかった事を言ってみる。

 

 

その子はなんとも言えない表情をする。

 

 

キョトンとしたような、安堵のような、笑えるような、バカバカしくなってしまったような顔をする。

 

 

そして、すぐに真剣な顔になる。

 

 

その瞬間に、学校に行けないという堂々巡りの悩みは、どうやって生きていこうという、希望的な悩みに変わり、彼らは1歩を踏み出すように見える。

 

 

そんな彼らを見て、おれは思う。

 

小学校の頃、この言葉を聞きたかったんだと。

 

 

*1:今となっては、少し理由がわかりますが・・・

*2:それは当たり前のことなのです。義務教育なのですから。義務を果たそうとしているだけです。

*3:世間的には普通の行為だが、あきらかに仮病だろうがよ・・・

*4:まぁ一般的な考えを持った親だったんです。


 

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