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【死の哲学】私の厭世観、私の自殺願望【人生は地獄的】




ネガティブな記事は、あまり書きたくないと思いつつも、それでも、私の心の中にネガティブな私もポジティブな私も同居している。

 

小学校当たりから、もやもやとした自殺願望が完全に消えたことはない。

 

一時的に大きくなったり小さくなったりする事はあるが、私の自殺願望はずっと波を描いている。

 

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私が求めている言葉は、ポジティブな言葉ばかりではない。

 


「みんなで頑張ろう」

「世界を変えよう」

「自分が変われば世界が変わる」

「人との繋がりを大事に」

 


そういう言葉に励まされる時も確かにある。

 


でも、人生は地獄的だ。

 


人生が地獄的であるとき、「努力で人生は変えていけるんだぜ」なんて言葉が、もはや薄っぺらく思えてしまうほど、人生は地獄的なのだ。

 


私の人生で、検索窓に打ち込んだ言葉は、ポジティブな言葉よりネガティブな言葉の方がはるかに多い。

 


なんとはなしに「自殺」「自殺した人」「自殺願望」「希死念慮」「自殺幇助」「死」「死にたい」「死とは」

 


何度、検索窓に打ち込んだことか。

 


わかってる。

 


打ち込んだところで、その時持ってる自殺願望や、死への誘惑、死への恐怖、そして、人生の恐怖が消える訳では無い。

 


頭では分かっているのだけども、検索窓に打ち込まずにはいられない。

 


私は誰にも「死にたい」なんて言わない。

かまってちゃんは嫌いだ。

 


だが検索窓は知っている。私の自殺願望を。

不思議な時代になったものだ。

 

 


現在の私の状況

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私は28歳。男。

 

「人生は地獄よりも地獄的である。」

メメント・モリ。自分はいつか必ず死ぬ。」*1

 

そんな言葉を毎日反芻しながら生きている。

 

ふとした時に叫びそうになる。

 

頭を抱えて絶叫しそうになる。

 

うわああああああああああああ

 

突然、人を殴りそうになる。鼻の当たりを狙って。

 

突然、窓ガラスを割って、4階からダイブしそうになる。

 

反社会的な行動を取りそうになる。

 

火災報知器を見ると押したくなる。

 

電車に飛び込むと、自分の意識がどの程度の痛みを感じるか。気になる。

 

夜。ふと寝れなくなる。

 

つまり、端的に私の気持ちを表すと「発狂しそう」だ。 

 

 

私の気持ちは、概ね、上のような状況だ。

しかし、決して不幸のどん底という訳ではない。

本物の不幸のどん底にいる方には申し訳ないが、私はどちらかと言えば、幸せな方だ。

 

 

一応の職もあって、人並み以上の頭脳があり、愛する人と巡り合った。

28歳、既婚、子供はまだいない。

 

 

だが幼少期から自殺願望が完全に消滅したことはない。

なぜか、全くわからないが、生きるのが辛かった。

学校に行くのが辛かった。

 

 

今でも、ふっと一線を超えてしまいそうな事もある。

正直、自分でもよく分からない。

 

 

両親も仲が良く、愛情を受けて育った。

兄は結婚し、甥っ子もできた。

いとこも今年結婚する。

 

 

家族関係は良好。私自身も夫婦の仲も良い。

それなのに、私は発狂寸前なんだ。

 


だから、こんな、陰鬱とした文章を書いている。

 


仕事は嫌いではないが、働きたくはない。

非正規で、未来は見えない。

これは悩みのひとつではある。

 

 

金はない。

これもまた、悩みのひとつである。

 

 

そんな私が、幼少期から考えていた、死と自殺について、この記事に書きたい。

 


結論から先に書いてしまえば、結局「死」とはなんなのか全くわからないし、私がなぜ自殺願望を持ち続けるのかもわからない。

この記事はただ、つらつら、書いただけだ。

 


しかし「死とはこういうものだ」とか「死んだ後はこうなる」とか「自殺願望を振り払って力強く生きる方法」などという記述は全て嘘っぱちだ。

 


人間にとって、死とは、そんなに根の浅い問題ではない。

 


いくら思考しても、堂々巡りを繰り返し、決して答えは出ない。

答えが出ないまま、人は死んでいく。

それが死だと思っている。

 

 


私の厭世観

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客観的に見れば、幸せな境遇にいる私の脳みそが、日々グラグラ揺れている理由はわからない。


ただ、私はあまりこの世界が好きではない。

 

理由をば。

 


運に左右される世界。

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努力と見合わない対価。

頑張ったなら上手くいって欲しい。

頑張らなかった人は、上手くいかないで欲しい。

そういう世界であって欲しかった。

 


残念ながらそういう世界ではないんだ。

 

 

人生は運だと、言わざるを得ない。

 


「人生は運ではない」と言い切る人は、運の良かった人だけだと思っている。

「人生は運ではない」という人は、恐らく成功した人だろう。

 


運がなくて、上手くいかなかった人は存在する。

運がない事が原因で上手くいかなかった人は「人生は運ではない」なんて言えないと思う。

 


つまり「人生は運じゃない、努力で人生は切り開ける」なんてのは、運が良くて、人生が上手くいった人達の一方的な意見に過ぎないんだと思う。

 

 

私はこう考える。

運が良いから成功したのではなくて、成功したから運が良いのだと。*2

彼の成功は努力のたまものだろうか。

いや、努力ができる能力も、また、運に即していると私は考えている。

 

 

他にも、バカとブスの人生はキツイと思う。

バカは努力不足だと言われる。

勿論、バカである事を理由に税金も免除されなければ、就職も優遇されない。

 

 

ブスも人として平等に扱われる。

美人、イケメンとブス、ブサイクを分けるのは遺伝子であり、それはやはり、運ではないだろうか。

 

 

今は整形も手軽にできる時代のようだが、もともとイケメンに産まれれば整形する必要もないではないか。

 

 

他にも、病気も多少運の要素があると思う。

 

芥川の記事でも書いたが、芥川が厭世的であった理由のひとつに病気がある。*3

病気がまさに、「人生は運」の指標であると思う。

 


いくら不摂生しても病気にならない人もいれば、健康に気をつけてても病気になる人もいる。

 


これが運でなければなんなのだろうか。

 

 

何かの本で読んだ

 

苦しむなら治って欲しい。

治らないなら苦しまないでいたい。

苦しんだ上に治らないで死ぬなんて最悪だ。

 

 

これほどまでに、人生の(特に病気の)酷さをうまく言い表している言葉はない。

 

 

努力したなら上手くいって欲しい。

努力しない人は上手くいかないで欲しい。

苦しむなら治って欲しい。

治らないなら苦しみたくない。

 

 

だが現実は、無情だ。

努力をしたって、運で全てが台無しになったり、苦しんだ上に治らず死んだりする。

地獄よりも地獄的状況。

 

 


努力ではなく結果主義の世界

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これは、人間社会の事を言っているのではなくて、世界全体が結果主義の原理で存在していると思っている。

例えば、自然界の動物は一生懸命、生きても、ライオンに見つかって食われたら、命は終わりである。

がんばって逃げたから偉いねとかはない。

食うか食われるか。

逃げ切れれば生きれる、逃げ切れなければ、いくら頑張って走ったとしても、食われて死ぬ。

 

 

余談

誰が言ったか忘れたが。こんな名言がある。

「世の中に幸と不幸どちらが多いか。

食べている者と、今まさに食べられている者の気持ちを比較すれば明白である。」

食べる幸福度の絶対値 < 食べられる不幸度の絶対値 である。

あきらかに娑婆苦に満ち満ちた世界である。

余談終

 


人間社会では、流石に食べられる。という事はないが、勿論、人間社会も弱肉強食の世界に即している。

人間社会は、食われたり、襲われて死んだりはあまりしない。

 

 

そのかわり、弱肉強食は金という尺度に置き換わって、少し複雑となっている。

強いものは金を持ち、腹いっぱい食うことができる。

弱いものは、金を持たず、満足に食うことはできない。

これが人間界の弱肉強食であろう。

っまぁ。食われて命を落とさないだけマシか……

 

 

 

 

死について

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私は、死についての興味が人よりも旺盛のようで、毎日毎日、死について考えている。

 

 

しかし、死についてはよく分からない。

私は良く、アナロジーによって、物を考える。

似たものと類比することによって、未知の対象を考えたい。

 


自分の死とは意識の消滅だと思う。

意識の消滅とは、睡眠に似ている。

例えば、眠って、起きなかったとしたら、それが死の感覚と同じなのではないか、と類推している。

それくらいしか、私には死について言うことが出来ない。

 

 


自殺した著名人の年齢

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私は自殺した著名人を調べて、「あいつより、長生きした。」と張り合っている。

 


カート・コバーン

27歳没

ショットガンで頭を撃ち抜いて死んだ。

原因は音楽的な葛藤とうつ病

 


芥川龍之介

35歳没

服毒自殺。

原因は「将来に対する唯ぼんやりした不安」。

 

 


太宰治

39歳没

入水自殺。

原因は「小説を書くのがいやになったから」

 

 


三島由紀夫

45歳没

切腹

原因は政治的理由。

 

 


川端康成

72歳没

ガス自殺。

原因は不明。

 


なんという、個人的興味の年表。

本当はここに、ソラニンの種田(24歳没)と、若きウェルテルの悩みのウェルテルも入れたいが、フィクション作品なのでカットする。

 

 

私は、この人達を意識している。

特に芥川はすごい好き(ファンです)なので、今は35歳を目標に生きていると言っても過言ではない。

私が35歳になったとき、体や脳みその老いが当時の芥川に等しくなる。

そのとき、私は何を思うだろうか・・・

 

 

45歳から72歳まで遠いな・・・

須原一秀さんを目標に生きるか・・・

 

 

 

 


デュルケムの自殺論


デュルケムは自殺の理由を大別した。

  • 利他的自殺・・・献身や自己犠牲による自殺。殉死や殉職などもここに入る。
  • 利己的自殺・・・過度の孤独感や焦燥感による自殺。
  • アノミー的自殺・・・自分の欲望が叶えられない事に幻滅、絶望して自殺。


自殺願望の時点でも、どこに分類されるか、わかるかもしれない。

私が興味深いのはアノミーだ。

 

 

私自身の人生は、生きていく分にはそれほど問題はないし、まぁ幸せな部類に入るだろう。

しかし、どうも、焦燥が拭いきれないのはこのアノミーによるものなんだろうか・・・

 


さらにこのアノミー的自殺は、不況期よりも好景気のほうが欲望が過度に膨張するので自殺率が高まるそうだ。

 

人間ってのは、よくわからんものだ。

 

鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

 

幸せが手に入らぬなら、死んじゃおう。

 

そんなんで良いのか。人生。

 

良くないだろ。

 

 

 

 

 

 

 

まとめ

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私の考えをつらつら書いてしまった。

 

人生は運だから嫌いだ。

 

世界は結果主義だから嫌いだ。

 

私は、それほど不幸でもないのに、どうも、焦燥や憂鬱や自殺願望が拭い去れない。

それはアノミーと関係があるのかもしれない。

 

 

お読みいただきありがとうございました。

私と、この駄文を読んでくれたあなたが、人生を渡っていけるよう祈っております。

キリンノックスでした。

 

 

 

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*1:座右の銘メメント・モリ

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*2:こんなことも書いたなw

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*3:病気になる人がいれば、ならない人もいる・・・

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