キリンノックスの日記


キリンノックスのブログ

【多芸は無芸】僕のコンプレックスを話そう【オール5の落ちこぼれ】




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今日はおれのコンプレックスを話そう。

ところどころ自慢と取られてしまって、お気を悪くする方がいるかもしれない。

 

 

怠惰

僕は怠惰です。

かなり。怠惰です。

どのくらい怠惰かと言いますと、今日は昼に起きて、スマホを持って、気付いたら4時でした。

ベッドからコタツに移動しました。

約10mの移動です。

昼間はお母ちゃんの作ったチャーハンを食べて、コタツでみかんを食べながらお茶を飲みながら、スマホで漫画を読んでいました。

怠惰を脱したい。

もちろん、おれの怠惰はおれのせいだ。

しかし、おれの怠惰は、おれのせいなのだろうか?

 

 

多芸

僕は多芸です。

かなり。多芸です。

どのくらい多芸かと言いますと、楽器はギター、ベース、ドラム、打楽器、ピアノ、ヴァイオリンまで手を出した。

ヴァイオリン以外は、人並み以上に弾くことができます。

パソコンもそれなりに使えるし、タイピングも結構速い、ダーツも練習した、歌もそれなりに歌える。

運動は少々苦手ですが、それなりで、中学の時やっていた運動部では、上位入賞していました。

ボードゲームも好きで将棋、オセロ、チェスなどであれば、かじった程度の人には負けない自信があります。

重要な勝負事は勝ったことの方が多いです。

 

しかし、どれも、まぁまぁ上手い程度です。

 

 

勉強

僕は勉強が得意でした。

今も得意です。

しかし、勉強に関しても二流なのです。

なぜかと言えば、頑張って勉強したことがなかったからです。

勉強しなくてもできてしまったから。

全ての教科で、それほど勉強しなくてもできた。

故におれは勉強をしなかった。

定期テスト前も、受験前も、苦労した記憶が全くありません。

成績は体育以外オール5でした。(体育は4だった。)

コレで良いのだと思っていた。

しかし、おれがやっていた勉強は、本物の勉強ではなかった。

テスト範囲内の知識しかないし、テスト範囲内の好奇心しかなかった。

 

 

成績

とにかくすべて並以上にできた。

でも、全部それなりだった。

学校の成績を見て、親や先生はおれの事を褒めた。

「なんの問題もないですね」っと言われた。

おれも、学校の成績を見て、なんの問題もないと思った。

 

問題しかなかった。

 

それを28歳になったおれは感じて生きてきた。

学校の通信表の成績なんて、あてにはならない。

MAXで5までしかないのだ。

たとえ、ゴッホ並の絵を書こうが、美術の成績は5止まりだ。

全部1でも一つだけ突出していれば生きていける。

逆にオール5でも突出していなければ、無価値なのだと思うよ。

これからネットなどで、才能のある人達が活躍できる場が増えて、更にそういう時代になって行くと感じている。

 

 

 

全てが中途半端な多芸は無芸人間

多芸は無芸。

最初にこの言葉を想起したのは20歳前後だったかもしれない。

おれはバンドをやっていたけども、ギターからベースに転向して、ベースからドラムに転向した。

自分の事をなんでも屋的な、良く言えばオールマイティなプレイヤーだと思った。

しかし、おれは気づいてしまった。

人間は同時に2つの楽器を弾くことはできない。

ドラムでライブをしているときは、いくらベースがうまくても意味がない。

ドラムなんか叩けなくても、ベースがめちゃくちゃ上手い人間の方が使える。

 

例えば、野球もサッカーもそれなりに上手い人は、実際あんまり役立たないだろう。

サッカーができなくても、野球がめちゃくちゃ上手ければ生きていける。

 

 

多芸は無芸で調べてみるとこんな文章が出てきた。

 

「生まれつき器用で、芸という芸、何にでも手を出し、一応何でもうまくやりこなす、という人がある。しかし、やる事が多いために、力が分散されるので、すべてが中途半端になってしまい、特に傑出した芸を持たないものである」という意味の諺です。

http://www.ishii-miraikan.com/kanjikyouiku/contents/15_52_02_15.pdf

 

僕の人生そのものが書かれているようで驚きました。

 

 

この頃“落ちこぼれ”という言葉がよく使われます。何か一つつまずいても、それを“落ちこぼれた”と言うのです。それは断じて“落ちこぼれ”ではありません。落ちこぼれとは、何一つ取り柄のない人間の事です。一芸に秀でていたら、人間として申し分ない、と私は思います。何でも出来る人間こそ「多芸は無芸」で、落ちこぼれと言うべきです。

http://www.ishii-miraikan.com/kanjikyouiku/contents/15_52_02_15.pdf

 

良い言葉ですね。

何か一つつまずいても、断じて落ちこぼれではないんだよ。

本物の落ちこぼれは、何一つ取り柄のない人間の事です。

何でもできるオール5の成績表こそが、本物の落ちこぼれの成績表だったんです。

 

 

十徳ナイフ

おれは十徳ナイフを思った。

いろんな事ができる。

便利だけど、ナイフとしても微妙だし、ペンチとしても微妙、ニッパーとしても微妙だし、アイスピックとしても微妙。

知ってる。

おれ自身、こんなような物体は全然好きじゃない。

一つに特化した方が優れているに決まっている。

 

エフェクターだって、マルチエフェクターより、歪みしかできないけど、めっちゃ歪むエフェクターの方が良いに決まっている。

 

正直、何かを作業するとき、物を切ることに特化したナイフと十徳ナイフがあれば、十徳ナイフではなくシンプルなナイフを選ぶ。

十徳ナイフは「まぁあるから使うか。」程度の物体なんだ。

 

 

これしかないから仕方なく使う。

おれは十徳ナイフみたいな人間だ。

切れ味は悪いが、いるから使う。程度の人間。

思えば、自分で主体的に何かをするよりも、誰かに頼まれて何かをこなす事が多かったように思う。

便利だから。

でも、いざというときには役に立たない。

 

 

あれか、これか

人生はあれか、これか。

おれは性格的に、全てを得ようとしたくなってしまう。

 

 

どちらかを選ぶというのは、どちらかを諦めるということです。 諦めるのが難しいから、迷っている訳です。 しかし、人生は一本道です。人は、1人分の人生しか歩めません。 同時に2箇所に存在することはできない。 迷った時、必要なのは諦めることです。

自分の心の声に従う勇気 - キリンノックスの日記

 

全てを得たくなってしまうけども、全てを得ることはできない。

だから、取捨選択しなければならないのに、おれは諦めるのが下手くそだから決断してこなかった。

全部それなりに手を出して、それなりにうまくなってしまったので、「どれを選ぶか」という選択を迫られなかった。

 

 

結果、おれは十徳ナイフになった。

 

もう十徳ナイフとして、鋭くなるしかないのか。

 

明日おれは29歳になります。

 

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