私は、生きづらい。
生き辛い。
生き辛いというのは、生きるのが辛いってことだ。
私は毎日思っている。
「この世は地獄だ」と
この記事には私が考える「この世が地獄である理由」が書いてあります。
しかし、解決策は思い付きません。
解決策があったなら、良かったのにね。
この世が地獄である5つの理由。
- 人生は運だから。
- 弱肉強食の世界だから。
- 生きる理由が無いから。
- 人間は欲望を抱えて生きているから。
- 行き着く先は死だから。
人生は運だから。
私たちの体はDNAを元に作られている。
そして、私たちが、喜怒哀楽、愛情、憎しみ、苦しみ、幸せ、不幸を感じているこの脳みそも、設計図であるDNAの分子構造によって作られている。
そして、自分が生まれる前に与えられた分子構造を変えることはできず、私が今のこのような私になったのは、私の努力や意思を超越した「運」以外の何物でもない。
「この世は地獄だ。」と言ったが、実はそれはすべての人には当てはまらない。
運が良い者にとって、この世は地獄ではない。
いや、天国だと言う者もいるだろう。
問題は、運が悪かった者にとって、この世が地獄だという事なんだ。
運によって、恵まれた者と恵まれない者がいるのは明白だ。
私だって、アラブの石油王の超イケメンの性格ポジティブの超健康体に生まれていたらこんな文章書いていないw
それと、以前も書いたけれども「人生は努力で変えていける」と言うのも、詭弁に思えてしまう。
努力でなんとかならないレベルの問題もあるし、努力ができるという能力や性格なども、DNAや生まれた環境、つまり「運」によって決まっている気がしてならないからだ。
ポジティブな考え方や、努力によって自分を変えようという気力も、全てはDNAによって作られた脳から湧いているのだから。
顔、体格、体の性質、性格、生まれた環境が生まれた時点で決まっている。
そして、それが苦痛を伴うものだった場合、この世は地獄と化す。
この世は弱肉強食だから。
人生は運だというのは、何も「自分の体や性格」の話だけではない。
生きることも、運の要素を多分に帯びている。
一生懸命生きても、運で上手く行かないこともある。
悪い事をしても、運良く捕まらず、咎められず、のうのうと生きている人もいる。
弱肉強食。
残念ながら、この世の仕組みは、すべての生物が捕食者になることはできない。
すべての生物が満足に食べて、誰も苦しまないほど、地球上の資源はないのだ。
いや、地球上の資源が適度に不足するまで、生物は繁栄してしまうのだという見方もできる。
とにかく、生物は必ず食う側と食われる側が存在するのだ。
自然界では食うか食われるかだが、人間の世界で食われて死ぬような事はほぼない。
弱肉強食は人間の世界では「金」という指標に変換されているように思う。
人間で言う「弱い」とは、金を持っていない人だ。金を持っていない人は飢える。
人間で言う「強い」とは、金を持っている事だ。金を持っていれば、食うのに困らない。
つまり、人間界で言う弱いというのは、金や時間や労働力を搾取される人であり、強い人は金や時間や労働力を搾取する人だ。
金も、金を稼ぐ能力もない。それは弱いという事だ。
金も、金を稼ぐ力も持っている。それは強いという事だ。
自然界の弱き者の運命は「肉」である。
「肉」になる生物にとって、この世は地獄である。
人間界の弱者の運命は人間界の「肉」、すなわち、「金や時間や労働力」を奪われ続ける人である。
金や時間や労働力を奪われ続ける人にとって、この世は地獄である。
生きる理由が無いから。
私はニヒリストだ。
ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、英: Nihilism、独: Nihilismus)とは、この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。
なぜ、私はニヒリズムを信じているのか。
それは、科学的に正しいと思っているからだ。
自分が生まれたのは、何億年もの間、分子が動いて衝突した結果である。
自分が生まれた理由を問うことは、ビリアードの玉がぶつかるとなぜ跳ね返るのか、と問うているのと同じである。
人類が生まれた理由を問う事、人類が生きる目的を問う事は、この世界の前提となっている「物理法則」を問う事になる。
そして、最終的には、「世界がそうなっているから」以上の答えは出ないように思う。
明確に生きる理由はなく、ただ生まれ、生きて、死ぬ。
ゴールのないマラソンを私達は延々と走り続けている。
走る事は辛いが、止まる事はもっと辛いマラソンだ。
なぜなら、立ち止まる事に苦痛を感じるようにDNAに刻まれているから。
食べ物を毎日食わないと、私達は苦痛を感じる。
生きる意味が無いことを嘆き、食べ物を追い求めるというマラソンから降りようとしても、人生を途中でやめるのは人生を苦しみながら走る以上の苦痛を伴うのだ。
人間は欲望を抱えて生きているから。
人はいろいろな物を手に入れるために心を悩ます。
その理由も、少しでも生存に有利になろうというDNAの結果だと思える。
空腹は苦しい、痛みも苦しい、より食べたい、異性を得たい、心地よい暮らしをしたい。
生存に有利になるために「苦しみ」がプログラムされている。
生きることに目的も意味も無いのに、生きるために苦しみや不安を抱くようにDNAに刻まれている。
行き着く先は死だから。
しかし、どんなに、あがいて、もがいて、生きようと、いつか死ぬ。
人間には生存本能がある。DNAに埋め込まれている。
私達のDNAは、自分の死、さらには自分の子孫の死、そして人類の死を最も恐れている。
それなのに、人は死ぬ。
自分の子供もいつか死ぬ。
そして、人類も恐らくいつか、地球と一緒に絶滅するだろう。
DNAが最も恐れている「死」
私達が最も嫌悪し、最も不安し、最も苦しむのは、「死」であるというのに、最終的に行き着く先は「死」である。
私達も、私達の子供も、親も、孫も、ひ孫も、そして人類も恐らく「死」を避ける事はできないだろう。
なぜ、こんな皮肉な世界になってしまったのだろう。
なぜ、こんな皮肉で苦しい世界を僕らは生きているのだろう。
地獄を生きるあなたと私にエールを。
2020.09.29