親が死ぬ夢を見る

哲学・考え方
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私は良く、近親者が死ぬ夢を見る。

父、母、祖母が、夢の中で、

事故だったり、病死だったり、自殺だったり。

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ハッと目覚める。「夢だったか・・・良かった・・・」

 

しかし、動悸が速くて再び寝ることは出来ない。

 

私の座右の銘はメメント・モリである。

メメント・モリとは「いつか自分が死ぬことを忘れるな。」という意味である。

私は、自分の死を思わない日はない。毎日、毎日、鮮明に自分の死を思う事で、自分に正直に、失敗を恐れずに生きれる。そう思っているからだ。

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しかし、そうやって、毎日、死を思う事がこのような悪夢を呼んでいるのだろうか・・・

自分の死を思うとき、私の心は意外と安らかで「どうせいつか死んでしまうのだから、人生楽しまなきゃ損だよなー。いつでも来いや。明日死んでも良いくらいの気持ちで生きてやる!」と気楽な気分だ。

 

しかし、近親者の死を思うと、いてもたってもいられず、寝付くなんて、とても不可能だ。

簡単に言えば、恐怖だ。

私の家族は、非常に仲が良い。

父、母、祖母。みんな私の友達のように毎日接している。

 

その、生涯付き合ってきた友達を失うのは怖い。

以前にも書いたが、自分を無条件に愛してくれる人なんて、家族以外にいない。

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父、母、祖母、兄、妹と話すとき、私は非常に安心感を感じる。

 

家族は、私がどんな人間だろうと、愛してくれるような気がするのだ。

職業でも、学力でも、貯金でもなく、「私」を愛してくれる。

自分を愛してくれた人を失う恐怖は強烈だ。

 

私は、忘れて寝ようとする。

しかし「父、母、祖母は高確率で自分より先に死ぬ」という論理的思考が、私の脳内を埋め尽くし、近親者の死を思わずにいられなくなってしまう。

 

そして、めちゃくちゃ疲れる・・・

夜中のベッドの上、独りで勝手に私は疲れているのだ・・・

 

メメント・モリは、自分の死に留めて置かなければ、恐怖で身が持たない。

 

そうだ、テーマは母の日だった。

今週のお題「母の日」

 

私は、母の日が5月何日に当たるのか、知らない。

なぜかと言えば、毎日が母の日だと思って母に接しているからだ。

同じように、毎日が父の日だと思っている。

 

父、母にもそれを、公言している。

何か良いプレゼントがあると、買ってあげる。

「これ、母の日だから買ってきてやったよ。」と母に渡す。

 

その日が何月だろうとこんな感じだ。

「毎日が母の日だからw」そういってプレゼントを渡す。

 

嫁にも、同じように接している。

「今日誕生日やろ。コレ欲しがってただろ。」プレゼントを渡したりする。(もちろん。全然誕生日ではない。)

毎日、嫁の誕生日だと思っている。

 

別れはいつ来るかわからない。

後悔しないように毎日を生きたい。

 

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